2003年04月03日

「宇宙のステルヴィア」第1話

う~ん、今のところちょっと微妙かも。不可な部分は全然なくて、作画も丁寧だったと思いますが、心が躍るものをあまり感じないというか。まったり展開はいいんですが、それでももうちょっと今後への期待感を高める演出があってもよいんじゃないかと感じました。面白そうではあるんだけれど、予備知識が全然ない人――私もですが――へのつかみは弱いですよね。初めから視聴率は気にせず、ソフト購入者に狙いを絞って、作品として作りたいものを作ろうというスタンスなのかもしれませんが。いずれにせよ、もうちょっと見てみないと・・・。

2003年04月11日

「宇宙のステルヴィア」第2話

う~ん。なるほどなぁ。つまらないとは思わないけど、取り立てて書くことがない・・・。とりあえず録画&視聴は継続で。ほっぺたの紅い子にちょっと萌え。それより、「ななか6/17」のDVDボックスのCMを初めて見ました。予約しよう・・・。

2003年04月17日

「宇宙のステルヴィア」第3話

なにげにハカーなしーぽんに萌え~。かわいい顔して、いとも簡単にメインサーバーのプログラムを書き換えたり、警備システムを切ったりしちゃうとは。なるほど、こういう路線なんですね。前回から片鱗は見えていたわけですが。何だか期待できそうな気がしてきました。ところで、あのほっぺの赤い女の子はどこへ行ったんだろう・・・。OPとEDも、ちゃんとしたのを作らないんですかねぇ。

さてと、「ガドガード」が始まるまでに、少しでも債務を返済しておこう・・・。

2003年04月24日

「宇宙のステルヴィア」第4話

最初から薄々感じつつ、心のどこかで認めたくなかったんですが、今回やっぱりそうだなあと思ってしまいました。「トップをねらえ!」に似ている、と。今回出てきた「レーザーのレンズ磨き」とか、「努力する天才」とか、「お茶をすする一番偉い人」とか、どうしても連想してしまうんですよね。「トップ――」は、自分の中ではいまだに一方の極の最高傑作――高三の冬、深夜に「トップ――」の最終話を見て、朝まで泣き明かしてしまった過去は消せません――なので、今まで無意識に比べてしまっていたような気がします。
でも、これはこれで萌える。しーぽんかわいいなぁ。うのまこと絵に慣れてきたからかもしれませんが、どんどんかわいく見えるようになってきました。波乱や悩みや成長もありつつ、基本的にまったりテイストなのもよいですね。

2003年05月02日

「宇宙のステルヴィア」第5話

昨晩は途中で寝てしまったので、改めて視聴。こういう体育祭な宇宙学園ものは、「トップをねらえ!」が本当にサントラのネタの通り全26話になっていたらやっていそうな感じですね。ってほとんど分からない話ですみません。しつこいし。能力の本領の一端を発揮してしまい、状況に翻弄されるしーぽん、いいなぁ。

Posted by fuku at 04:07 | stellvia | コメント (0)

2003年05月11日

「宇宙のステルヴィア」第6話

いよいよ体育祭本番。しーぽんがとまどって失敗→本領発揮で大活躍というパターンが続いているような感じもしますが、まったりと見られて心地も良いのでそれほど気にはなりません。ライバルとおぼしき女の子も登場しましたし、これからの絡みが楽しみですね。

2003年06月16日

「宇宙のステルヴィア」第10、11話

いや、毎週見ることは見ていたんですけどね。
第10話のセカンドウェーブの無事通過で一山越えたわけですが、第4話とか第5話とかの感想で書いているように、やっぱり「トップをねらえ!」を連想してしまうんですよね。インフィニティはガンバスターで、けた外れの能力で危機を救ってしまうという。そうするとしーぽんはタカヤノリコ、光太はスミス・トーレン+アマノカズミですね。りんなはさしずめユング・フロイトなんだろうけど、名前をリンダと聞き間違えてリンダ・ヤマモトを連想してしまいます。

「トップ―」がこれでもかっていうほどけれん味たっぷりなのに比べ、こっちは丁寧に描いている分、カタルシスにはやや欠けるような印象を受けましたが、淡々としているのがこの作品の持ち味なんでしょうかね。初めからそういう感じを抱きつつ見ているんですが。

で、第11話では、これまで(努力の天才という点で)アマノカズミ的存在に思えた初佳が、カシハラさん的本性をむき出しにしてしーぽんに襲いかかるという。あーもう、「トップ―」を知らない人には全然訳が分からない文章で申し訳ない。

それにしても、予告のしーぽんと光太のキスシーンだけで、2ちゃんねるがあれほど盛り上がるとは・・・。本気なのか、面白がってるのか、両方入り交じってるんでしょうけど、いささか過敏すぎるのではと。この辺りの反応と共通するものもちょっと感じますが。いずれにせよ、光太がスミスだとしたら、そのうち死ぬわけで。違うか。

関係ありませんが、ナージャが見られない日曜日が、これほど味気ないものだったとは・・・。習慣とは恐ろしいものです。

2003年06月21日

「宇宙のステルヴィア」第12話~「光太死ね!」現象について

前回予告から話題になっていたしーぽんと光太のキスシーンはさらに波紋を広げ、2ちゃんねるをはじめとするネット上の一部ではいわゆる「祭り」と言われる状態にまでなっているようです。たかがキスシーンでいささか大騒ぎしすぎの感もなきにしもあらず、面白がっているだけの人も多いのでしょうが、ここまでの盛り上がりを見せている要因には、萌えアニメの構造にかかわる面もあるような気がします。

萌えアニメの大きな2つのタイプとして、女性の主人公が萌え対象になる伝統的な美少女アニメと、男性の主人公(?)の周囲に多くの萌え対象が存在するギャルゲー構造のアニメを考えます。受け手の暗黙の了解として、後者の場合は(受け手が自己を投影している)主人公と萌え対象との恋愛関係が比較的たやすく許容されるのに対し、前者の場合、(萌え対象たる)主人公と特定の男性との恋愛関係は、相当の重要な意味をもって描かれない限り、受け手の理解を得ることが難しいのではないかと思います。

「ステルヴィア」の場合、受け手の大半がこの作品を(一体どのように楽しむべきなのか考えあぐねた末に)前者のタイプの萌えアニメであると認識するに至ったまさにその時に、あまりにも不用意に――ギャルゲー的に――しーぽんと光太の恋愛関係の描写を投入してしまい、受け手に混乱――あるいは「裏切られた」という気持ち――を引き起こしたことが、騒動の背景になっている感じがするんです。

送り手が自覚的にやっているのか無自覚なのかは分かりませんが、某資料によるとこのアニメは「宇宙版ビバリーヒルズ青春白書」なんだそうで、確かにそんな印象を受ける部分もあります。送り手は新しいタイプのアニメを送り出そうとしているのに、受け手は従来構造の萌えアニメとして受け取る、そうした齟齬がもしかしたらあるのかもしれません。

で、第12話の感想としては、町田さんがなかなかいい感じになってきましたね。ぜひ将来は校長になってもらいたいものです。いまだに「トップ―」を引きずってるな>自分。



「あれ」は見なかったことに・・・というわけにはいかないので、忘れて頂ければ。ほんの一瞬ですし、大根も大根ですから。まさか今日の事態がこんなになるとは全く予想してなかったので・・・。

2003年06月25日

「何故ナージャとフランシスのキスシーンではこういう祭りが起きなかったか」

「宇宙のステルヴィア」のしーぽんと光太に対し、「明日のナージャ」のナージャとフランシスのキスシーンはどうして「祭り」にならなかったのか。カトゆーさんが「戯れ言」で表題の疑問を書かれていますが、これは至極当然だろうと私は思っていました。

「ナージャ」は本来的には少女向けアニメ(のはず)ですが、萌えアニメとして見た場合は、以前に「光太死ね!」現象についてで書いた前者の構造――女性の主人公が萌え対象になる伝統的な美少女アニメ――になると思います。そして、ナージャがフランシスを好きだという事実は、物語の早い段階から繰り返し明示されていました。つまり、恋愛感情が相当の重要な意味をもって描かれていたわけです。

言い換えれば、受け手は、フランシスに恋心を抱いている部分も含めた存在としてのナージャに萌える、という形になるわけで、その恋心の当然の帰結としてのキスという行為に及んでも、比較的冷静に受け止められたのではないかと思うんです。私自身、あのシーンを目にした時、「フランシス殺す!」という感情よりは、ナージャの成長を見守る兄――父とは口が裂けても言いたくない――のような気持ちで前途を祝福してあげたい気分になりましたよ。

ここまで書いて、はたと思いました。「ステルヴィア」の場合、光太のしーぽんへの思いが描かれていたかどうかが問題にされている部分が大きいようですが、逆にしーぽんが光太を思っているという感情の描写はどうだったんでしょうか。さらに少なかった、あるいはほとんどなかったような気がします。仮に、キスに至る以前に、しーぽんが主体的に光太にラブラブ、みたいな表現があったならば、受け手は「しょーがねーなー」と思いつつもそれを容認できたのかもしれません。やっぱり、あのキスシーンの唐突さはギャルゲー的のような気がします。

Posted by fuku at 09:58 | nadja , stellvia | トラックバック (0)

2003年06月26日

「宇宙のステルヴィア」第13話~この作品の楽しみ方について

この作品は、受け手に対して主体的に楽しむことを要求する――ある意味では不親切な――アニメなのかもしれない、とふと思いました。

開始当初、受け手は作品をどのように楽しむべきか、その手掛かり――記号――を作品中から探し出そうとします。凝った背景設定に着目すれば本格的SFとも受け取れるでしょうし、しーぽんとアリサの友情や予科生たちの日常生活にフォーカスすれば青春学園劇とも見られるでしょう。

ところが、そのいずれの描写も、(従来アニメ的には)中途半端に見えた――記号が少なすぎた――ため、受け手は作品の楽しみ方にとまどいを覚えます。フラストレーションにも似た感情は、第10話の淡々としたセカンドウェーブの通過で頂点を迎え、その中で、相対的に「しーぽん萌え」な楽しみ方が浮上していきます。この時点で、以降も見続けようとする受け手の多くは、「萌えアニメ」としてこの作品を捉え、作品にそれを期待する視聴態度に至ったのではないかと思われます。

その受け手が、第11話の最後、次回予告で唐突に映し出されたしーぽんと光太のキスシーンにどう反応するか。それは火を見るより明らかでしょう。それまで、この作品を恋愛ものとして楽しむための手掛かりは、記号として分かりやすくは作品中に明示されていなかったわけですから。

しかし、これはもしかしたら――好意的に解釈すれば――、あまりにも分かりやすすぎる記号にあふれた近ごろのアニメに慣れきった受け手に対する、一つの挑戦なのかもしれません。「これまでとは違うアニメ」として、アニメ的お約束――分かりやすい記号――を探そうとする態度を排除した目で見れば、ひょっとしたら、あるいはまた違った魅力が浮かび上がってくるのかもしれませんが、私自身、そこまでの見方をしているわけではないので断言はできません。

送り手は受け手の反応を予想しつつ作品中に記号を仕掛け、受け手は送り手の狙いを承知の上で、その記号に引っ掛かって予想通りに反応してみせる。そういう、近ごろのアニメに横溢する約束事――もっと言えば送り手と受け手のなれ合い――が、「ステルヴィア」の場合、少なくとも受け手側の立場から見れば、予想を大きく上回る形で打ち破られた――送り手側の意図はつまびらかではありませんが――。それが今回の「光太死ね!」祭りだったような気がします。

え~、何か思いつきを適当に書いているだけなので、全話終了した時点で見直したら全然的はずれな内容になってるかもしれませんが、せっかく書いたので。

で、第13話の感想ですが、「ステルヴィア」のこれぞという魅力をいまだ発見できていない自分にとっては、眼前を物語が通り過ぎて行っただけで、何だか入り込めないという印象でした。とりあえずは、次回以降の「トップをねらえ!」的に燃えそうな展開に期待したいところです(まだ言うか)。