2003年07月05日

5日の「星のカービィ」は必見?ですよ

ここ数日、アニメを見ても感想を書いている余裕が(物理的にも精神的にも)なかったので、すっかり間が空いてしまいました。なるべく週末に何とかフォローしよう・・・。
とりあえず、5日午前7時30分からの「星のカービィ」第89話「オタアニメ! 星のフームたん」は要チェックですね。あんまり期待しすぎると肩すかしをくらうかもしれないので、ほどほどに期待。でも、「カービィ」は本当に作画も安定していますし、内容も子供向けじゃないことが多くて――子供向けアニメとしてはプラスに評価すべきかどうか微妙なほど――面白いです。第86話「弟子対決! コックナゴヤ」なんか、完全に(制作局たる中部日本放送の)地元向けサービスとしか思えない怪作でしたが、楽しめました。

2003年07月06日

おたくの共通言語

2ちゃんねるのスレがSF話で盛り上がってるようですが・・・。
>福たんの見解を聞きたいところだな。
ということなので、いささか思うところを。

よく言われることですが、1960年前後生まれをおたくの第1世代、70年前後生まれを第2世代、80年前後生まれを第3世代とします。それぞれの世代の共通言語、つまりお互いのコミュニケーションの上で最低限踏まえておくべき知識のホームグラウンドとなる分野は、非常に大ざっぱに言うと、第1世代がSF、第2世代がアニメ、第3世代がゲーム(ギャルゲー)だと思うんです。

私は71年生まれなので第2世代ということになりますが、自分の記憶では、中学、高校生のころ、近所の本屋に早川書房の青い背表紙の文庫本は結構並んでいたのですが、有名どころを少し読んだぐらいで・・・。興味はあった(今もある)んですけど、やっぱりアニメや漫画の方が魅力的だったのかなあ。

前に書いたように、私がおたく的世界に足を踏み入れるきっかけになったのは高橋留美子氏の「炎トリッパー」なんですが、あれもタイムパラドックスというSF的要素が使われているわけで。自分の感覚としては、
>SFは拡散浸透した。
>しかし、だからといって過去の名作が色あせるわけではないがね。

という見方に共感を覚えます。ただ、
>もうジャンルとしての使命は終えている。
とは思いませんが。

あと、
>オレだけかもしんないけど、ヲタクって何事にも貪欲な人種だと思っていた
という点については、
>今は情報量が増えてきて、受身でも山ほど知識が入ってくるんじゃないの?
という見方に同意です。さらに付け加えるなら、SFやアニメは、読んだり見たりという受動的なメディアなので、能動的にメディアにかかわっていこうとする欲求が、情報や知識を集めるという行動に結びつくのだと思うのですが、最近のおたくのメインストリームと目されるゲームは、自分がゲームをプレイするという意味で、擬似的にではあるものの能動的に楽しむことができるので、メディアに能動的にかかわりたいという欲求がそれだけである程度満たされるのではないかという気がします。

この辺りのことは、ササキバラ・ゴウ氏が自身のサイトで書いている「おたく元年・1978年論ノート」が非常に参考になります。と書いていたら、すでにスレで引用されていましたね。素早い・・・。

さて、これからゆるゆるとアニメの感想を書いていこうか・・・(あくまで予定)。

2003年07月08日

「星のカービィ」第89話

サブタイトルは「オタアニメ! 星のフームたん」。自分はかつての感想で素で「フームたん」とか書いてるし、ここ1、2日、これに類する単語で検索してくる人も多いようなので、早く感想を書かねばというプレッシャーが・・・・。

直前のエントリーをややひきずりますが、ここで描かれているのはクリエイティブなおたくですね。こういう存在こそが、狭義の意味での「おたく」と言えるのかもしれません。

で、どうしても、今回の作中でも振り返られている第49話「アニメ新番組・星のデデデ」と比較したくなるんですが、「デデデ」ではアニメ制作者の世界がこれでもかというほど自虐的に描かれていたのに比べると、「フームたん」でのおたくの描かれ方はまだマイルドだったような印象を受けました。「好きなことに打ち込む熱意、それだけは買うわ」と持ち上げたり。まあ、あんまり辛辣に表現すれば、受け手たるおたくの反感に直接つながるわけですから、当然と言えば当然のような気もしますが。

しかも、「おたく」も「萌え」も分からない――そういえば、「萌え」という言葉は一度も出てきませんでした――子供やその親にも、何とか理解できるレベルにとどめている。つまり、おたく向けにも子供向けにも楽しめる、ぎりぎりの危うい所でバランスを取っているように見受けられました。「デデデ」が、ある意味突き抜けた表現で子供向けの受けを取ろうとしていたのとは、対照的な作り方だったのではないでしょうか。

それでも、随所に込められたメッセージ――恐らく吉川惣司総監督の――は強烈です。いわく「おたくは卒業してプロになれ」、いわく「(朝7時半からなんて)そんな早くちゃ誰も見ない」、いわく「(モーションキャプチャーで)セルアニメーターは大量絶滅、アホ監督は野垂れ死に」――これはそうはならないという強い自負の裏返しでしょうが――などなど・・・。こういうのを作る方も作る方なら、許す方も許す方だよなあ。ほめてるんですけど。

しかし、フームたんがセクシーアイドル系だという、彼らの見方には断固として異議を唱えたい。フームたんはあの容姿、あの体型だからこそ萌えるのであって、あんな巨乳の八頭身キャラなど(以下略)

それにしても、これだけやりたい放題のアニメが、あと(ry

そういえば、全然全く関係ありませんが、実写版の「セーラームーン」が、この秋からTBS系で始まるそうですね。一体どの枠で放送されるんだろう・・・。

以下に書くことは全くの想像で、何の根拠もないということを前提に受け止めてほしいのですが、現在、某局で某SSが再放送中ですよね。これが終わるまでは、今流れている以上の情報は公式には出てこないのではないか。そんな気がしています。

積み残しは徐々に消化していきますので、しばしお待ちを・・・って、誰も待ってないか。

2003年07月09日

「明日のナージャ」第22話

いよいよ待ちに待ったリタの話で、前回の予告から楽しみにしていました。結論から言えば、全体としては満足できると言っていい出来でした。

リタがしゃべれないのは、何らかの精神的ショックが原因だというのは容易に想像できたわけですが、火事で両親を亡くしたためだった、というのはとても分かりやすいですね。あちこちで突っ込まれていますが、「そんなの初耳だぜ(byケンノスケ)」って、最初に教えておくべきでしょう、普通。

そして、同じような刺激を再び受けることでそのショックが解消されるというのもまた、よく見かけるパターンのような気がします。私は「スケバン刑事」(漫画の)を連想しましたよ。サキを「お姉さま」と呼ぶ、あの子の名前が思い出せないんですが・・・。

それにしても、第1話といい、今回といい、ちょっと安易に火事を起こしすぎではないでしょうか。あの孤児院の火事にしても、今回の馬小屋の火事にしても、重大な結果を引き起こす割には発端があまりにも偶発的だと思います。まあ、登場人物の誰かに出火の責任を負わせることを避けるためには仕方がないのかもしれませんが。

他にもいろいろ突っ込み所はありますが、最後のシーン――リタがありったけの思いを込めて「ナ~ジャ~~~!」と叫び、言葉を取り戻す――が手堅く感動的にまとめられていたので、これを見られただけでもよし、と考えてよいかと思います。

蛇足ですが、「私、自分のことしか考えてなかった」と反省するナージャ、よかったです。様々な経験を経てだんだん成長していく妹を見守っているような気分になりますね。断じて娘ではない、と言いたいところですが、「幸福の王子」で井森美幸さんが母親役をやっているのを見ると、やはり時代の流れを感じます・・・。

次回は幽霊船話のようで、予告のナレーションを内容に合わせていつもと違ったトーンで話す小清水さんの声や口調も、なかなか素敵でした。

2003年07月13日

「LAST EXILE」第13、14話

遅れを少しでも挽回しよう・・・。

第13話
タチアナの自信、プライド喪失→あきらめ、自暴自棄→回復の過程がよく描かれていたと思います。タチアナのプライドに配慮して無関心を装いながら、心配して支えようとするクラウスもよかったです。そしてタチアナも内面をさらけ出して、だんだん心を通わせていくという。

暗転を多用するカット割りが印象的でしたが、それでも後半の、クラウス×タチアナ話じゃない方の話の展開は分かりにくかったように思います。今は本編から以外の知識を得ずに見ているので、特に最後の部分は意味が取れませんでした。なんかもやもやを抱えたまま・・・。

第14話
最初に謝っておきます。ごめんなさい。

幼(おさな)クラウスと幼ラヴィ、かわいい~~~!!!

・・・失礼しました。いや~、どこかのサイトさんでも書かれていたんですが(見失ってしまいました)、アルといい、今回のクラウスとラヴィといい、子供の動きの描き方にスタッフの愛を感じます。

ラヴィの回想という形での、二人とその親との思い出話。父親同士の友情、親の愛に包まれて育った二人、グランドストリームに向けて飛び立った父親たちを亡くした後、ヴァンシップ乗りを目指す二人の奮闘――。もう、涙が出てきますね。エンディングに出てくる写真とか、ヤギのぬいぐるみとか、これまでに登場した小物が有効に使われていて心にしみました。あの若者ってアレックスですよね? やっぱり、因縁浅からぬ関係、という訳ですか・・・。

後半の、放送開始後の話の回想シーンも、再編集が主体とはいえ、前半がきちんと作られていたので、その流れで違和感なく楽しめました。

ヴァンシップを整備するラヴィとアレックスのからみや、ラヴィがクラウスから「ノルキアが落ちた」と告げられる――あの思い出の日々は帰ってこない――ところなど、おちの付け方も秀逸でした。

ところで、今回は幼クラウスが「グランドストリームを目指す!」と言って無謀に飛ぶシーンでかかっていましたが、あの4分の3拍子の曲、大好きなんですよね。サントラも買ってしまいました・・・。

「明日のナージャ」第23話

前回の予告からうすうすそんな気はしていましたが、やっぱり今回はギャグ話でしたね。こういうお話に無粋な突っ込みを入れるのは野暮というもので、素直に楽しむべきでしょう。ダンデライオン一座の皆さんの強さとナージャの脳天気さを堪能しましたよ。トーマスの泣き上戸やおばばのジャンプ的「最強ばばあ」ぶり、面白かったです。よくしゃべるリタには何だか違和感を覚えますが・・・。いずれ慣れるんでしょうけど。

OPの冒頭のパターンがいつもと違いましたね。CMでも、本編に合わせてフラメンコの衣装やおばばミシンレッスンが登場したりと素早い対応(笑)で、少しずつマイナーチェンジしてますね。

あと、最後の「また見てね」のナージャは、一体だれが描いたんだろう。かわいい・・・。

「エアマスター」第14、15話

第14話
なんか前回で(自分が)力つきてしまったのか、前回ほどは燃えなかったのですが――いつ終わるんだろうか、とか、みんなタフすぎ、とか――、やっぱりすごい。止め絵の連続にOPテーマ曲をかぶせた試合の結末も感動的でした。摩季も、自分は戦いが好きなんだ、ということを改めて自覚したんですね。それにしても、改めて考えてみると、いつも覆面をかぶっているルチャマスターって職質を受けたりしないのかなあ。

第15話
ああ、何でこんなに面白いんだろう(前もこう書いたような気が)。これがうわさの戦闘員編ですね。

プロレスで燃え尽きて、肩に雀が止まっちゃうほどふぬけになった摩季。言葉の意味はよく分からないけどとにかくすごい迫力の人生哲学を振りかざす崎山に連れられていった先は、遊園地のヒーローショー。バイトとして悪の組織の戦闘員に扮し、思わず上の空でヒーローをやっつけてしまう摩季。歴代ヒーロー総登場には大笑いしました――あのヒーロー話で盛り上がってる父子って、プロレスの時にいたのと同じでしょうかね?――が、それより何より、女帝ゴキ@崎山のかっこよさといったら! やっぱり迫力満点の演説――ある意味正論ですが――で、子供たちまで結局味方につけてしまうとは。彼女の我が道を行く的な生き方、考え方は魅力的ですね。

蓮華の同じ顔をした妹×2(三つ子?)とか、美奈の妖気アンテナ(鬼太郎?)とか、やる気のなさげな司会のお姉さん@小倉優子(はまりすぎ)とか、小ねたも満載で楽しめました。

次回からの新章突入を予感させつつ、崎山のかっこよさを際立たせる引きもなかなか。これが2クールで終わりとはもったいないなあ。

おたくとは何か~はじめに

先日の「おたくの共通言語」での堺三保さんとのやりとりや、この前書いたある文章などがきっかけとなって、どうも変なスイッチが入ってしまったようで、最近、「おたく」ということについてあれやこれや考えています。ただ一人で考えているだけではあまり生産性がないので、今まで考えたことをここで公開してみて、いろいろな人の意見を聞いてみたいと思うようになりました。

読んで頂くに当たって二つお願いがあります。一つは、私も勉強不足かつ能力不足ですので、既に誰かが言及や指摘していることを、自分の考えとして書いている可能性があります。そういう点が見受けられたら是非指摘して頂きたい、ということ。現に、「おたくの共通言語」で書いた、おたくの世代の立て分けの仕方は、東浩紀氏の「動物化するポストモダン」(13ページ)で触れられています。私自身としては、この立て分けの仕方にもう少し根拠を持たせることができると思うのですが、それはいずれ。一方で、私は学者ではありませんので、様々な点で非常に大ざっぱに話を進めている部分があると思いますが、その辺はご寛恕下さい。

もう一つ。私は、ここで書いていることがすべて正しいと考えている訳ではないし、そうは受け止めて欲しくはないということ。自分でも暴論やこじつけとしか思えないことをあえて書いている可能性もありますが、読んだ方が考える何かのきっかけになればと思ってのことですので。ここを訪れる大半の方がおたくであると思われる以上、おたくについて考えることは自分自身について考えることにもなり、それは決して意味のないことではない、と思います。

で、現在の「おたく」という表現が中森明夫氏によって使われ始め(「漫画ブリッコ」資料館所収の『おたく』の研究を参照)、宮崎勤事件によって強烈な負のイメージを負って人口に膾炙し、その裏返しとして岡田斗司夫氏らによって肯定的な「オタク」のあり方が提唱され、といった流れは前掲「動物化するポストモダン」を始め各所で述べられている通りですが、おたくそのものについて考える場合、その正負のイメージとは無関係に、純粋におたくという存在について扱うべきだと思っています。私自身は、「おたく」という言葉を価値観の軸ではニュートラルに使っていますので、そのように理解して頂ければと思います。

その上で、私が考えるおたくとは何か、についてですが、斎藤環氏が「戦闘美少女の精神分析」(53ページ)で書かれている「端的で下世話な表現をするなら、アニメキャラで『抜く』ことが出来るか否か、それがおたく―非おたくの一つの分岐点ではないだろうか」という見方に非常に共感を覚えます――もちろん、この本ではこんな下世話な話だけではなく、精神科医の立場から見たおたくの鋭い分析が種々述べられています――。

この見方にも近いとは思うのですが、私自身は、「萌え」という感情が理解できるかどうか、それがおたくかどうかの一つの分かれ目ではないか、と考えています。すなわち、おたくとは「萌え」を理解する存在である、と。もちろん、異論はあるでしょうし、おたくという幅広い存在をそこまで言い切ってしまえるとは思っていませんが、とりあえず、ここではこのように位置づけて話を進めたいと思います。

そうすると、次は「萌え」の意味について考えなければなりませんが、長くなりましたのでそれは次回に書きます。

おたくとは何か~「萌え」の意味

前回を書いてからふと思ったのですが、「萌え」という言葉が広まる前からおたくは存在したじゃないか、という反論があるかと思います。当然、おたくというあり方にしろ「萌え」という感情にしろ、その言葉が“発見”される以前から存在したもので、しっくりくる言葉の出現によってそれが急速に定着したのだろうと思います。ですので、「萌え」以前のおたくは、そういう言葉は存在しなかったけれど「萌え」ということを理解していた、そう捉えて頂ければと思います。

同様の理由で、「萌え」の語源について探ることはあまり意味がないような気がしますので、ここでは触れず、その意味についてのみ考えたいと思います。

「萌え 意味」や「萌え 定義」でグーグル検索してみると、「萌え」について様々な説明が試みられていて参考になります。例えば、以下のようなものです。

「ある人物やものに対して,深い思い込みを抱くようす。その対象は実在するものだけでなく,アニメーションのキャラクターなど空想上のものにもおよぶ。」(三省堂「デイリー新語辞典」)
結局我々の求める最高の理想であり、たとえそれがリアルな現実ではなくても、そのキャラクター(人物)に最大の好意を示す時に使用する言葉。
架空のキャラクターや特定の事象、物品を甚く気に入り、心を奪われること。架空のキャラクターや特定の事象、物品に深い思い入れを抱くこと。
「萌え」とは、自分が神性を感じた存在への信仰のことである。

私自身、某文章で「アニメなどの特定のキャラクターや設定に対し、愛情を抱いて心が奪われる状態を指す」「一部分の設定や特定のキャラクターに熱烈に入れ込む」とか書いたことがあるのですが、どうしても表層的な説明のような気がして今ひとつしっくりこないんですよね。そこで、私が自身の内省も含めて、現在のところたどり着いた「萌え」の意味と考える内容を、以下に記述します。

「欲望の対象となる存在に対し、常にともにありたいと希求する心の状態。」

さらに詳しく述べてみます。修飾語が過多で読みにくいのですが。

「意識的にせよ無意識的にせよ、主として性衝動を根源とする欲望の対象となる、高度に記号化・抽象化された存在に対し、それが不可能であると知りながら、むしろ不可能だからこそ、常にともにありたいと希求する心の状態。」

これだけでは分かりにくいので、もう少し説明します。
「(対象と)常にともにありたい」というのが、最も核となる「萌え」の意味のような気がします。これが同一化にまで行き着くと、(男性による)女装コスプレや着ぐるみコスプレになるでしょうし、そこまで行かなくても、いろいろな妄想を繰り広げたり、そういう二次著作物を創作したり、単に「萌え~」という言葉の発露ですら、対象と常にともにありたいという心の表れとして捉えられるのではないかと思います。そして、その対象と実際に結ばれることは絶対にあり得ないというのが、恋愛との決定的な違いではないでしょうか。

それは、対象が「高度に記号化・抽象化された存在」であることに由来します。例えば、アイドルは生身の人間ですが、ひとたび「加護ちゃん萌え~」と言葉を発した時点で、その「萌え」の対象は生身の加護亜依さんではなく、自身の中に虚構された「加護ちゃん」になるのだと思います。これはアニメやゲームの場合も同様で、もともと架空の存在であるキャラクターですら、本来の作品中の文脈から切り離された、自身の中の虚構として再構築されて、「萌え」の対象となる。こう見ていくと、「萌え」とは、実は変質した自己愛なのではないか、という気もしてきます。

「主として性衝動を根源とする欲望」というのには異論もあるでしょうし、うまく言語化できないのですが、第二次性徴前の子供が「萌え~」というのを想像できないことを考えても、やっぱり「萌え」の背景には性欲があると言えるような気がします。この辺は前回にも挙げた斎藤環氏の「戦闘美少女の精神分析」に詳しいのですが、そこで述べられている「虚構それ自体に性的対象を見い出すことができる人」(30ページほか)というおたくの説明にも、上述の「萌え」の意味は合致するのではないかと思います。また、ここで述べたことは、前掲書に触発された部分が大きいことを記しておきます。

何だか思いこみの独りよがりで書いているような気もなきにしもあらずですが、まあ、何かの参考になれば幸いです。あとは、おたくという言葉が喚起するイメージの多様さや、おたくの世代による共通言語の違いについても述べていきたいのですが、次回がいつになるかは未定です・・・。

2003年07月16日

小清水亜美さんの「声友ヒャッカテン」

「Music Japan TV Plus」で放送されている「声友ヒャッカテン」の「今月の声友(優)さん」は、小清水亜美さん。ようやく某所で録画したのを見ることができました(うちはスカパー2しか入ってないので映らないんですよね)。簡単に番組内容のリポートなどを。※以下は自分の感想です。

まずはインタビュー。

※そうか、小清水さんの血液型はAB型なのか・・・。(←自分と同じなのでちょっとうれしいらしい)

「明日のナージャ」(恐らく第21話)のアフレコ風景を交えつつ、インタビューが続きます。

声優になろうと思ったきっかけ。「宮崎アニメを母と見ていて、『この声の人、もう死んじゃっていないんだよね』と言われて、自分が死んでも声はずっと残せるんだなあ、と」(大意)

※どの作品だろう。「ラピュタ」の初井言榮さんかなあ。それにしても、偉大なお母さんだ・・・。

「小清水亜美さんの放課後」
街をぶらぶら。仕事が忙しくなる前は、学校終わって吉祥寺に行って商店街を友達同士で回っていたそうです。プリクラをとったりとか、カラオケに行ったりとか。最後は井の頭公園でまったり。

キティちゃんの表紙のプリクラ帳登場。お母さんや妹さんの顔も。

ルーズソックスの小清水さん。ルーソーにも夏用と冬用があるそうです。

「小清水亜美さんの『歌』」
所属している劇団若草でのレッスン風景。インタビュー。「(エンディングの「けせら・せら」の)CDを自分で聞いていて、ここはもうちょっとできたかなあ、とかいうのがあって、いま修業を積んでおります」(大意)。歌の難しさとか。

5月25日、石丸電気での「けせら・せら」CD発売記念イベントの映像を交えながらインタビュー。
「自分の持ち歌ができるんですよ。すごいことですよね」「ちっちゃい子とかも、歌うと喜んでくれて、一緒に踊ってくれたりとかして、不思議な気分ですけどね」(大意)

※大きいお友達の言動についての言及はなし。

イベントの感想。「すごい緊張しましたけど、自分の歌を聴いて下さるためにたくさんの人が集まって下さって、びっくりとうれしさでいっぱいでした」(大意)

※大きいお友達の応援ぶりも楽しめます。

CDを出した感想。「CDが実際並んでる所はまだ見てないんですけど、友達に買っちゃったと言われて、『まじですか~』って、半信半疑な感じ。いまだに信じられない」(大意)

「小清水亜美さんの思い出」
日光へ。小学校の修学旅行先。記念写真に写っている11歳当時の小清水さんも登場。劇団若草に入ったきっかけの話。

東照宮などをぶらぶらする小清水さん。「どんなジャンルでもいいからオーディションを受けてそこを入口にして声優の道に行こうと、来るオーディションを受けまくっていたけど、4年間1個も受からなくて、去年の11月『ナージャ』のオーディションが来て、だめもとで受けて、気付いたら受かりましたと言われて、『うそでしょ』と。ここまで来るのが早すぎて、いまいち飲み込めないまま来てしまった」(大意)

華厳の滝で雨。「雨女です」。エレベーターに乗り、展望台へ。「エトワール」がバックにかかる。展望台ではしゃぐ小清水さん。

声優の魅力。「劇団のちっちゃい子とかも『あっ、ナージャのお姉ちゃん』とか言ってわいわい集まってきてくれたりすると、すごいうれしいです」(大意)

「小清水亜美さんのお気に入り『花火』」
浴衣姿の小清水さん。「夏です、浴衣です、イェーイ」(とピースサイン)。花火をする小清水さん。

今後挑戦してみたいお仕事。「ゲームの声をやってみたい。もとからRPGとかゲームが好きで、ゲームの声もすごく楽しそう。自分の声が入ったゲームをやりたい」「声優さんになりたいと思ったころからの目標なんですけど、いずれ宮崎駿さんのシリーズにぜひ、というか頑張って出たい。もうメインキャラで。本当にちっちゃいころから言ってるんですよ」(大意)

「歌は、いずれ絶対うまくなって、作詞とかもやってみたい。いつかアルバムとか出せたらいいな、と欲張って思ってます」(大意)

目標。「実力をいっぱいつけて、何でもこなせる声優として、死ぬまでこの仕事を続けていきたい」(大意)

最後に、「声友ヒャッカテン」オリジナルミュージックビデオの「けせら・せら」。これまでに登場した映像も交えながら。

※両手を腰の辺りで微妙に振りながら歌う姿がキュート。

※結論。小清水さんの魅力を存分に堪能できる25分(正味)でした。あまりにも良かったので、ざっと紹介するつもりだったのに熱が入ってしまった・・・。小清水さんファンなら、何としてでも見るべきでしょう。というか見なさい。

この番組とは関係ありませんが、小清水さんがこの秋に始まる某アニメに出演するらしいっていうのはどこかで既出ですか?

おたくとは何か」「『萌え』の意味」への、多数のリンク紹介および反応、ありがとうございます。こちらからのレスは、もう少し時間を下さい。さすがに、フルタイムでこういうことを考えている余裕はないので・・・。申し訳ない。

2003年07月20日

「明日のナージャ」第24話

冒頭から明らかに普段とは違う出来。画面構成、演出の素晴らしさに見とれました。一体誰の演出だろうと思ってエンディングに注目していたら、五十嵐卓哉シリーズディレクター自らによるものだったわけで、当然と言えば当然と納得。桑原幹根氏作監による作画も美麗で、力の入った見事な一作でした。

ナージャが、最初はホセ=太陽と感じていたけど、ホセにも影があると知り、自身も決して楽しい時にばかり踊っていたんじゃなかったと思い出し、フラメンコでその思いを表現できるようになる、という流れが、スペインを象徴する「光と影」を多用した演出によって非常にうまく伝わってきました。

闘牛場でアーベルが「闘牛の光と影」について説明しますが、観客席のダンデライオン一座が映るシーンでもちゃんと光と影が斜めに半々になっていますし、ナージャがフラメンコを習うシーンなど、他でも光と影の対比が効果的に用いられていました。

また、ナージャとホセが並んで夕日を見つめるシーンで、一度目より二度目の方が二人の並ぶ隔覚が狭まっているのは、心の距離も近くなったことを暗示しているのでしょう。

実は、ちょうど直前に、最近入手した「おジャ魔女どれみドッカ~ン!」第40話(細田守氏演出)のDVDを見ていたのですが、何となく今回と感覚的に近いものを感じました。それにしても、やっぱりこの未来さん話は名作ですね。すきのない出来栄えです。

あと、先週から最初のアバンが、世界地図&おばばのナレーションから、前話の回想&ナージャのお母さんへの呼びかけに変わりましたが、これはこのまま継続と考えていいんでしょうかね。

おたくとは何か~「萌え」の意味ふたたび

先日の「おたくとは何か」の「はじめに」と「『萌え』の意味」は、「カトゆー家断絶」さんを始めいくつかのニュースサイトさんでご紹介頂いたこともあって、多くの方に見て頂いたようで、あちこちで反応も頂いたようです。ありがとうございます。

前に書いたように、私自身は専門家でありませんし、大した勉強をしている訳でもありませんので、思いついたことを適当に書いているに過ぎません。読んだ方の何かの参考になればと思うだけで、書いたことがすべて正しいとは全然思っていません。

ただ、こうしたことを書いた動機は、自分自身が「萌え」という感情を抱く時の心の動きを、何とか言語化できないか、という思いからでした。過去にあちこちで説明されている「萌え」の意味では、どうしてもぴんと来なかったんですね。それで、自分が現時点で何となくしっくり思える、しかもできるだけ一般化した意味(定義ではない!)として、「意識的にせよ無意識的にせよ、主として性衝動を根源とする欲望の対象となる、高度に記号化・抽象化された存在に対し、それが不可能であると知りながら、むしろ不可能だからこそ、常にともにありたいと希求する心の状態」と書いたわけです。

これについて、「その通りだと思う」とか、「合ってるような間違ってるような」など、いろいろな感想や意見を各所で見かけましたが、主なものについてレスさせて頂きたいと思います。まずは、直接寄せられたコメントから。

Saitohさん
>おたく、オタク、ヲタク、ヲタといった用語の使い分けにより、
>「どのレベルの話をしているか」が指定されているように思います。
私もそう思いますが、それでも共通する「おたく」の核の意味あいというものがあるように思います。私自身は、それが何であるかをもう少しはっきりさせたいと考えています。

>精神分析において「欲望」を定義することは不可能です。
私はラカンもデリダもかじったとすら言えないほどですので、この辺はよく分からないんです。前述の「萌え」の意味(繰り返しますが定義とは思っていません)も、自分の感じていることをそのまま書いただけで、それぞれの用語について厳密に定義して使っている訳でありませんので。

>萌えるとは、狭義において「そのキャラに対し他のキャラとは異なる際立った
>魅力を感じる」ことである、と思います。
これは、おっしゃるように狭義、というか、一定の局面においてではないかと感じます。ギャルゲーやギャルゲー的アニメでは当てはまりますが、例えば特定の絵師さんの絵に萌えるとか、そういう状況まで広げて考えるとどうなんでしょうか。

海法さん
>今の日本における一般的なオタク層の特殊性、独自性を定義するには、
>それに加えたプラスアルファが必要でしょう。
このことはまさに私も考えているところで、「おたく」や「萌え」といったものは、ずっと前から存在していた「マニア」や「好き」とはどう違うんだという問いへの答えに結びつくのだと思います。おっしゃるように、
>圧倒的な量と、それを前提とした消費の姿勢
辺りがカギじゃないかという気はしますが、もう少し突き詰めてみたいものです。

次に、私が気付いたサイトさんの反応に対して。
・「エロチック街道」さん
>自身の中の虚構が構築されるというのは、別に萌えキャラに限らずあらゆる
>創作物を受容する際に行われる心理的行動である、という立場もあります。
そうなんですよね。私自身、小説を読んだりする時の昔からの楽しみ方とどこが違うんだと、知人に突っ込まれましたし。でも、やっぱりそれと「萌え」の間には何か違いがあるような気がします。その「何か」に少しでも近づきたいと思っています。

>「萌え」はマニアの域の奥底にある秘境ではなく、むしろ入り口で渡される
>入場券に過ぎないのではないだろうか。
>現実と虚構との対立ではなく、虚構と自意識との関係の問題じゃないかな、
>と思います。
いずれも卓見で、なるほどと思いました。確かに、現実との対比はあんまり意味がありませんね。

・「moirunote」さん(7月17、18日)
>「萌え="抜ける"感覚」というわけではないですね。
おっしゃるように、私も直接「萌え」と「抜ける」を結びつけている訳ではありませんし、だからこそ「意識的にせよ無意識的にせよ、主として性衝動を根源とする欲望」と書いてみた訳です。必ずしも「萌え」の背景に性的欲求があるかどうかは分かりませんが、やっぱりそんな感じはするんですよね。

こちら経由で知った「アニメたれ感日記」さんの「心が動いたこと」などの使い方だと、私の考える「萌え」の意味よりは、ずいぶん拡張されているなあ、と感じます。ひょっとしたら、「萌え」の用法にも性差があるのかもしれませんが。

同じくこちら経由で知った「ARTIFACT -人工事実- | 検索エンジンのテキスト広告」も興味深かったです。ただ、
>オタクは「歪んだ価値観が消費行動と結びつく形で確立された人間」
っていうのは――私自身ももちろんそれに当てはまる人間だとは思っていますが――、現在では「おたく」の十分条件ではあっても必要条件ではないのではないか、と個人的には感じています。

あと、2ちゃんねるのスレのレスに対して。
萌えているだけに踏みとどまっていることが、萌えていることなんだよ。
急いで「自己愛」という結論にたどりつくよりも、その前に、そういう距離
>のありさまを、もっとじっくり考察してほしいのだ。
まさにその通りだと思います。いきなり「自己愛」というのは確かに乱暴な話なんですが、ただ「距離」というのも、分かったような分からないような言葉なので、突き詰めたい部分ではあります。

「「萌え」という感情が理解できるかどうか」という「おたく」の定義では
>アイドルヲタやアニヲタや声優ヲタは説明できても、
>鉄ヲタや軍ヲタなんかは説明できないんじゃなかろか。
確かに、この「おたく」の定義は乱暴なのですが、「萌え」という感情の捉え方によっては説明できるんじゃないか、という気もします。私自身が子供のころ、まだ見ぬ土地の列車にあこがれた、あの何とも言えない気持ちをも「萌え」だと言えれば、ですが。でも、そうすると、「萌え」と性欲の結びつきの問題が出てくるなあ・・・。

俺の周りでアニメもゲームもしない非オタクで、抜き目的でエロゲーやってる奴なんて結構いるぜ。
俺の友人にも、抜き目的ではエロ漫画が一番と言ってる非オタクがいる。
これは、恐らくは、エロゲーやエロ漫画を媒介にして、生身の女性を想像しているのではないかと思います。エロゲーやエロ漫画の絵「それ自体」に欲情できるかどうかがポイントな訳で、斎藤環氏の書いていることもそういう意味だろうと思います。

むう、力つきた・・・。ほかにもスレのレスで反応したいのはあるんですが。とりあえず、
福たんはこの人達の中に入って議論しない方がいいと思う。
趣味でやる分にはいいんだけどね・・・
辺りの忠告は、自覚しているというか、肝に銘じたいと思います。自分がその器じゃないという認識は持っているつもりですし。
こういう領域じゃないですけど、大学時代は研究者の道に進もうと思ったこともあるんですよね。でも、自分はどうも締切とか期限がないと何もできない人間のようで、大学の研究室の環境ではいつまでたっても何もできないだろうなあ、と気付きまして。一留したうえで、こんな(?)道に入ってしまったという。

2003年07月21日

スタイルシート

2xUP BONSAI」さんの3_column CSSを使わせて頂きつつ、スタイルシートをいじってみました。全体のバランスもまだ取れていませんが、何より真ん中の箱が右側の内容の左端にちょっとかかってしまうのが難点。原因を調査していますが、スタイルシートの基本をほとんど理解していないので難航中・・・。

2003年07月22日

たまには日記など

一応「日記」とか銘打ってるのに全然日記になっていないので、たまには日記のようなものを書いてみようかと。

その前に小ねたを二つほど。

『明日のナージャ』着信ボイス8月4日よりサービス開始!
さすがに自分の携帯で常用する勇気はないなぁ・・・。

ナージャ倒錯度チェック
ちなみに自分の倒錯度は80 % だそうで、ナージャ病と診断されました・・・。

で、今日は某ガンスリのアニメの製作発表会をのぞいてきました。別に特定の声優さんが目当てとかそういうことではなく(?)、原作は前から読んでいたので興味があったものですから。

個人的には、まさかこれがアニメになるとは、ましてOVAならともかく地上波で放送するとは思ってもいなかったので驚きました。だって内容が内容でしょう。面白いんですけど、基本的には明るい未来のない「ひどい」(いいとか悪いとかではなく)話なわけで。その全く絶望的な状況の中で、少女たちのささやかな幸せが描かれていくという、非常に微妙なバランスの上に成り立っている危うい物語だと思うんですよね。この「ひどさ」を真正面から受け止める覚悟がアニメ化に携わる人になければ、様々な意味でとんでもないものが出来上がってしまうのでは、という危惧を抱くんです。

しかし、どうも連載開始当初からアニメ化は視野に入っていたようで、今日の関係者の方々の話を聞いた限りでは、結構期待できるような気がします。放送局や放送枠も今日の時点では発表されなかったんですが、この原作をきちんとアニメにしようとすれば、表現上の問題などを考えればおのずと放送できる局も限られてくるでしょうから、それだけ真摯に作品に取り組んでいる証拠ではないかと受け止めました。

夜は例によって閉店間際の石丸電気に駆け込んで、1日早く出ていた「LAST EXILE」のDVD第1巻(フィギュア付)を購入。結局予約はしていたんですが、2巻以降はどうしようか・・・。その後秋葉原をぶらぶら。といっても、この時間では開いてる店も少ないわけで、1時間弱で切り上げ。某虎の2号店1階にある「どんどん」がなくなっているのに驚きました。しかし虎も9周年か・・・。学生時代は、あの急で狭い階段のビルの3階にあった旧1号店によく行ったものですが。あそこには今は別の同人誌屋さんが入っているみたいですね。

それにしても、やっぱり小清水さんはいいなあ・・・。

2003年07月26日

日記とか雑記とか

なぜか、この前の更新をはてなアンテナがずっとチェックしてくれていなかったのが、ちょっと前に反応してくれたようで。一気にアクセス数が伸びますね。アンテナの力は偉大というべきか。

24日から25日にかけては京都に出張に行ってました。去年の夏にも行ったので、暑さは覚悟していたのですが、まだ梅雨明けしていないこともあってか、思ったほどではなかったのでよかったよかった。

帰ってきて会社であれこれうだうだしていたら、25日が「明日のナージャ」ザ・ソング・アラウンド・ザ・ワールドの発売日であることをすっかり忘れていたのを思い出し、12時までやっている新宿東口のツタヤに駆け込んで何とかゲット。例の第8話のラファエルとシルヴィの歌も入っているようでよかったよかった。後でゆっくり聴いてみよう。ついでに、目に付いた「Refrain of Evangelion」もなぜか買ってしまいました。

アニメ感想や「萌え」についてのレスも滞っているので、この週末に何とかしたいと思っていたら、急きょ26日にも仕事が入ってしまいました。少しずつ、少しずつ・・・。

「ぽぽたん」とか「おね☆ツイ」とかもちょこちょこ見てはいるのですが、ここで感想を書くべきかどうか・・・。そういえば、ひねもすのたり氏って、あさりよしとお氏のアシスタントをやってらしたんですね。全然知らなかったんですが、知ってみると非常に納得できるように思いました・・・って、こういう話もここですべきじゃないんだろうなぁ。こっち方面の話も面白いんですけどね。特に、「萌え」について考えようとすれば密接な関係にあることは確かなのですが、やっぱりこういう立場だと書きにくいというか何というかごにょごにょ。

まあ、犬神サーカス団の新譜「神の犬」は良い、とか、神保町・共栄堂のスマトラカレーが何度目かのマイブームになっている、とかいうような自分の日常や、大して面白くもないアニメ感想よりは、このサイトをご覧になる方は恐らくはやはり、業界話を主に期待していらっしゃってるのかなあ、という気はするので、可能な範囲でなるべくご期待に添えるようにしたいとは思っているのですが。

うーん、なかなか更新できない状況だと、どうでもいいことをいろいろ考えてしまうわけで。あんまり気にしないで下さい・・・。

2003年07月27日

雑記:志村貴子氏とかコミックビームとか

日記や雑記の需要も、どうやら全然ないわけではないようなので、気が向いた&書くことがある時にはなるべく書くことにします。

今日買った漫画単行本:「放浪息子」第1巻(志村貴子、エンターブレイン)
かつてコミックビームに掲載された読み切り「ぼくは、おんなのこ」に激しく惹かれて彼女の存在を知った――というか「志村貴子」としてはこれがデビュー作だったわけですが――自分としては、前作「敷居の住人」よりは、これこそ待ち望んでいた作品なので、毎月楽しみなのですよ。第1話のサブタイトルが、かつての読み切りと同じ「ぼくは、おんなのこ」だというのにはさっき初めて気付きましたが。

そういえばコミックビームは、アスキーコミックだった時も含め、今や創刊以来ずっと購入し続けている唯一の月刊漫画誌です。最もお気に入りの漫画家さんの一人・須藤真澄氏――単行本全巻揃えは言うに及ばず、サイン会にも何度も足を運んでいるほどです――を始め、唐沢なをき、桜玉吉、竹本泉の各氏など、好きな漫画家さんや気になる漫画家さんが多く描いているからでもあるのですが、須藤氏や桜氏の連載が終わり、最近はあまり目を通していないこともあるのにもかかわらず買い続けているのは、コミックビームという雑誌そのもの、というよりはO村編集長を応援したいという気持ちがあるからなのでしょう。いろいろな意味で貴重な存在の漫画誌だと思うので、末永く続いてほしいものです。

(福)タンは今日のカービィ見たのだろうか。
録画はしていたので、とりあえず例の部分の前後だけ見ましたが、何ともいやはや。TBSでは例の面白せりふ?が聞けなかったようなので残念です。

日曜日はフリーの予定なのでいろいろやりたいのですが、こういう時は大抵朝まで起きていて、一日中寝てしまうという悪循環に陥る罠。最優先事項は、ハードディスクが死んでしまったメインマシンの復旧なのですが、新しいHDDは買ってきているのに、もう1か月近く放置状態・・・。ここしばらく、自宅ではLOOXを使っているので結構ストレスがたまってます・・・。