やっぱりナージャ、ケンノスケ、T.J.の3人は名トリオですね。テンポも良かったし、イルマお母さんとのからみもジーンとしました。3人がミネストローネをごちそうになるシーンで、テーブルのパンが現れたり消えたりするのがちょっと気になりましたが。
人間には多面性があるんだよっていうメッセージも良かったと思います。
それ以上に、最後のナージャとコレットがお互いを思う月明かりのシーンでうるうるしてしまいました。美しいものを見させてもらいました。こういうのが好きなんだよなあ。
クラウスがシルヴァーナに残る決意をした動機がいまいち不明だったり、狙われているはずのアルが無防備だったり、いろいろ?な部分はありますが、流れというか、勢いで見せてくれるのであんまり気になりません。とか書いてたら、ついにクラウスとディーオが遭遇してしまいましたね。とりあえずは、8耐レースの行方と、物語の核心に触れそうなオークションの行方を見守りたいところです。制作の舞台裏を気にすることなく。
今の仕事をしていると、改めて実感する機会はなかなか少ないのですが、やっぱりこの稼業は業が深いものです。自分もろくな死に方はできないだろうな、とずっと前から覚悟はしているつもりですが。
全体としてより良き方に向かうことを、心から願いつつ。
いや、もう、「すごい」の一言で尽きてしまうんですが。見せ場たっぷりの演出、動きまくる作画――もはや同じく西尾監督が手掛けた「ドラゴンボールZ」のように人間の領域を逸しつつあるような――、「そこで終わるのか~!」と叫びたくなる引き、もうお見事としか言いようがないです。見続けていてよかったです。最高。
今回を見た後に文章を書けば、テンションが上がりまくるのも無理はないとご理解頂けるのではと思います。
というわけで(何が?)、ここしばらく「キノの旅」のとりためたオンエアを見たり、それに相当する原作を読んだりしていたのですが、なかなか味わい深いですね。
「大人」的視点から見れば、たわいないと言えばたわいない話であると言える部分もあると思いますが、今の若い人たちはイソップやグリムよりもむしろこういう小説で世の中のことを学ぶのかなあと、妙な感慨を抱いたり。
昨日あたりは早売りの原作7巻が出ているのを見かけましたが、時間があれば全巻読んでみたいと思っています。
それより何より、最初は本当にキノのことを男の子だと思いこんでいたので、実は女の子だと知った時の衝撃といったらもう・・・。
正直言って萌えました。黒星紅白さんのイラストも大変に良いですね。
週刊文春の最新号や今月3日の読売新聞朝刊社会面で、「2ちゃんねる」を念頭に置いたと思われる、インターネット上の怪文書や犯罪予告についての記事が出ています。5月28日深夜のTBS「Pooh!」でも2ちゃんねるが特集されていましたね。あれは「何だかなあ」という内容でしたが。
誰もが手軽かつ広範囲に情報を発信できるようになったのはネットの普及のおかげですが、中でも2ちゃんねるの存在は大きいと思います。「ほぼ」匿名(発信者が特定できない)で、というのがみそで、川底の砂をさらうような作業が必要であっても、そこから砂金が見つかる可能性も高いわけですから。
逆に匿名ならではの問題点もあって、記事や番組で紹介されたように大きな迷惑を被ったり個人情報をさらされて困っている人もいたり、他人を騙っての書き込みも可能だったり、本人が書き込んでもそれを証明できなかったり(キャップという手もありますが)するわけで。
自分がサイトを作ったのも、2ちゃんねるにスレッドができていろいろ言われたりしているのに対して、その中に入り込んで無駄な徒労感を覚えるよりは、ネット上で顕名(ここでは、実名か否かを問わず発信者が特定できる、というほどの意味で使っています)で発言できる場がほしかった、というのが動機の一つではあります。
あくまでも2ちゃんねるは一つのメディアでしかなく、どんな情報が流れるかは発信者の責任であって、2ちゃんねる自体には非がないはずです。しかし、有用性を有害性が上回ったと判断された時に、その存在自体が難しくなってしまうのではと危惧しています。本当にこういう場は貴重だと思っていますので、ひろゆき氏には何とか頑張ってほしいと思うとともに、発信者にもその辺をほんのわずかでいいから念頭に置いてもらいたいものです。理想論に過ぎないのは分かっていますが。
書くのが遅くなりましたが、5日夜には村上隆氏による六本木ヒルズのキャラクターたちのアニメ「66(ロクロク)/The Creatures from Planet 66 ~Roppongi Hills Story~」の完成お披露目をのぞいてきました。監督は細田守氏、原画は中鶴勝祥氏、音楽は坂本龍一氏、村上氏や森ビルの森稔社長、東映アニメーションの高城剛氏、細田氏のあいさつもありました。
アニメ自体は5分30秒ほどで、六本木の街を再生させるために「ロクロク星」からやってきた「ロクロク星人」たちの自己紹介を中心とした内容。キャラクターたちの飛翔感など、映像の気持ちよさに浸りつつ、体の芯で何とはなしにこそばゆさを感じながら「これがアートというものなのかあ」と考えたりしました。
6日には六本木ヒルズで上映されたようですが、せっかくなのでもっと人目に触れる機会を増やしてほしいものです。
あと、会場では某アニメ様や某ロトさんとお会いでき、濃い一時を過ごせました。アニメ様とは以前に某所で一度お会いしたことがあるのですが、アニメにかける熱いパッションには圧倒されます。知識やキャリアでは全く及ぶべくもありませんが、情熱だけは少しでも近づきたいと、思いを新たにしたのでした。
一見善人らしい資産家が私腹を肥やす悪人だったり、悪人であるはずの黒薔薇が善い行いをしていたり。そういう人間の多面性をナージャが知るわけですね。先日の「キノの旅」の感想でも書きましたが、今の若年層が古典的な童話や説話集に触れる機会が少なくなっている――特に最近は生ぬるく改変されているらしいのも関係ありそうですが――と思われる現在、子供向けアニメで教訓的内容を伝えるのはよいことだと思います。
しかし、古典は長く残っているだけの理由があるからこそ古典であるわけで、子供を健やかに成長させたいのならオリジナルの古典に幅広く触れさせてあげるべきだろうなあと、子持ちならぬ身ながら考えてしまいます。「キノの旅」の「多数決の国」を読んで、民主主義の怖い一面を初めて知るようなハイティーンがいたりするらしいのを聞いたりすると、なおさらにそう思います。
脱線しましたが、今回の話、シリアスとギャグの配分がほどよくて、私は楽しめました。ハービーや橋の欄干にグーでパンチを繰り出すナージャがキュートです。次回は、ミイラ博士が再登場なんですね! 一回きりの登場ではもったいないと思っていたので、予告の壊れっぷりを見て期待が高まります。来週は休みなのが残念ですが。
いや~、堪能しました。崎山、ジュリエッタ、摩季パパと、ここまでのキャスト勢ぞろいに加え、男版美奈を気持ち悪くしたような長戸――郷里大輔さんの声がまた絶妙で怪しさ大爆発――初登場と、見どころ満載でしたが、何と言っても摩季×金ちゃんのバトルがすさまじかったです。動き的にはもうちょっと頑張ってほしかったところですが、緊迫感はよく伝わってきました。というか、あんなに頭を打ちつけて、2人とも不死身か?というぐらいですね。
摩季パパとジュリエッタのなごみ系会話、ジュリエッタと目が合って気が抜ける摩季、長戸にすっ飛ばされる女子など、ギャグも随所にちりばめられていて楽しめました。
先週とのセットとして見れば十分に面白く、中盤の盛り上がりとしては申し分ないのではと思います。
次回は、摩季と崎山がプロレスですか! ファミレスラーズですか!! あ~、楽しみだなあ。
伏線通り、ラヴィはメカニックになるんですね。とすると、クラウスのナビは誰がするんだろう。これも伏線を生かすとすると、アリスティアということになるんでしょうかね。レース後にクラウスとラヴィが交わす会話の雰囲気、なかなか良かったと思います。しかし、展開がやっぱりラピュタめいてるなあ。アルは飛行石で。
ディーオがシルヴァーナに乗り込んできて、どういう展開になるんでしょうかね。予告を聞く限りは、アルとのからみもありそうですが。面白いんだけど、ちょっと中だるみになってきたような気が。そろそろ大きな話を動かしてほしいところです。
そう言えば、某漫画誌に載っていた村田蓮爾氏によるラヴィの絵があまりにも良かったので、普段は買わない同誌を思わず買ってしまいました。21日に出るアルバムも買うつもり――この作品の音楽はかなり好きなので――ですが、DVDは、まだどうしようか迷っています。もう何話か見てから決めようかと思っています。
いや、毎週見ることは見ていたんですけどね。
第10話のセカンドウェーブの無事通過で一山越えたわけですが、第4話とか第5話とかの感想で書いているように、やっぱり「トップをねらえ!」を連想してしまうんですよね。インフィニティはガンバスターで、けた外れの能力で危機を救ってしまうという。そうするとしーぽんはタカヤノリコ、光太はスミス・トーレン+アマノカズミですね。りんなはさしずめユング・フロイトなんだろうけど、名前をリンダと聞き間違えてリンダ・ヤマモトを連想してしまいます。
「トップ―」がこれでもかっていうほどけれん味たっぷりなのに比べ、こっちは丁寧に描いている分、カタルシスにはやや欠けるような印象を受けましたが、淡々としているのがこの作品の持ち味なんでしょうかね。初めからそういう感じを抱きつつ見ているんですが。
で、第11話では、これまで(努力の天才という点で)アマノカズミ的存在に思えた初佳が、カシハラさん的本性をむき出しにしてしーぽんに襲いかかるという。あーもう、「トップ―」を知らない人には全然訳が分からない文章で申し訳ない。
それにしても、予告のしーぽんと光太のキスシーンだけで、2ちゃんねるがあれほど盛り上がるとは・・・。本気なのか、面白がってるのか、両方入り交じってるんでしょうけど、いささか過敏すぎるのではと。この辺りの反応と共通するものもちょっと感じますが。いずれにせよ、光太がスミスだとしたら、そのうち死ぬわけで。違うか。
関係ありませんが、ナージャが見られない日曜日が、これほど味気ないものだったとは・・・。習慣とは恐ろしいものです。
崎山香織、かっこいい!! 学生時代にひどい目にあっていたんですねぇ。仄聞するところによると、原作ではもっとひどい目にあっているらしいですが・・・。昔の敵(かたき)とリング上で期せずして再会し、かつての苦い感情を思い出す崎山。打ちのめされた日々を振り返る崎山。ふつふつと怒りが沸いてくる崎山。すべての思いを一撃に込め、敵をぶち倒す崎山! ここまでの持って行き方、見せ方、ぞくぞくしました。そして、マイクパフォーマンスをする崎山。全部かっこいい。際物だと思っていた彼女のキャラに一気にほれました。状況に翻弄されつつ実はやる気を出している摩季ちゃんも相変わらずかわいいし。
実は、馬場康誌氏の漫画「空手小公子 小日向海流」も愛読していたりして、アニメや漫画の格闘ものは結構好きなのですが、なぜかリアルな格闘技は好きになれないんですよね。所詮出来レースじゃないか、という感情がどうしても前面に出てしまって。作り話という意味では、アニメや漫画も同じなんですけれどね。生身の人間ではあり得ない迫力というのも魅力なのかもしれません。
さて日記さんやここにあるように、石丸電気で行われた小清水亜美さんの「けせら・せら」CD発売記念イベントの模様が動画で公開されています。前に書いたように都合で行けなかったんですが、行かなくて良かったのかも。私には、あの場で存在し続けられる自信がちょっとありません。主催者と参加者の間に何か大きなずれがあるような、実はそれすらも織り込み済みのような、何とも言えない感覚におそわれます。
東京国際アニメフェアの時のステージは、最前列に小さいお友達がいたり、親子連れがいたりして、まだしも普通の雰囲気を保っていたのですが・・・。こういう経験を通じて、小清水さんもだんだん大人になっていくのだろうなあ。
それにしても、この前の放送がなかったためか、だんだん自分の中のナージャ分が不足してきたような気がします。早く日曜日にならないかなあ。
全然関係ありませんが、これだけは言っておきたいので。
>ところで福たんは娘では辻ちゃん派と見たw
いいえ、加護ちゃん派です。
前回予告から話題になっていたしーぽんと光太のキスシーンはさらに波紋を広げ、2ちゃんねるをはじめとするネット上の一部ではいわゆる「祭り」と言われる状態にまでなっているようです。たかがキスシーンでいささか大騒ぎしすぎの感もなきにしもあらず、面白がっているだけの人も多いのでしょうが、ここまでの盛り上がりを見せている要因には、萌えアニメの構造にかかわる面もあるような気がします。
萌えアニメの大きな2つのタイプとして、女性の主人公が萌え対象になる伝統的な美少女アニメと、男性の主人公(?)の周囲に多くの萌え対象が存在するギャルゲー構造のアニメを考えます。受け手の暗黙の了解として、後者の場合は(受け手が自己を投影している)主人公と萌え対象との恋愛関係が比較的たやすく許容されるのに対し、前者の場合、(萌え対象たる)主人公と特定の男性との恋愛関係は、相当の重要な意味をもって描かれない限り、受け手の理解を得ることが難しいのではないかと思います。
「ステルヴィア」の場合、受け手の大半がこの作品を(一体どのように楽しむべきなのか考えあぐねた末に)前者のタイプの萌えアニメであると認識するに至ったまさにその時に、あまりにも不用意に――ギャルゲー的に――しーぽんと光太の恋愛関係の描写を投入してしまい、受け手に混乱――あるいは「裏切られた」という気持ち――を引き起こしたことが、騒動の背景になっている感じがするんです。
送り手が自覚的にやっているのか無自覚なのかは分かりませんが、某資料によるとこのアニメは「宇宙版ビバリーヒルズ青春白書」なんだそうで、確かにそんな印象を受ける部分もあります。送り手は新しいタイプのアニメを送り出そうとしているのに、受け手は従来構造の萌えアニメとして受け取る、そうした齟齬がもしかしたらあるのかもしれません。
で、第12話の感想としては、町田さんがなかなかいい感じになってきましたね。ぜひ将来は校長になってもらいたいものです。いまだに「トップ―」を引きずってるな>自分。
「あれ」は見なかったことに・・・というわけにはいかないので、忘れて頂ければ。ほんの一瞬ですし、大根も大根ですから。まさか今日の事態がこんなになるとは全く予想してなかったので・・・。
ナージャ分補給完了~。ついでにミイラ博士分も補給~。今回はナージャもかわいく描かれていたのですが、それ以上にミイラ博士=クリスチャンの作画に気合いが入っていたように思えたんですが。随所でほっぺを赤くするクリスチャンとか、いいじゃありませんか。スタッフも彼のことを不憫に思って力を入れてあげたんでしょうかね。
というのも、ナージャとクリスチャンは「ローマの休日」よろしく――先ごろグレゴリー・ペックが亡くなったのは偶然でしょうけど――ローマ見物をするわけですよ。それはそれは楽しそうに。クリスチャンなんか、「(古代ローマの人たちが)君も見えた?僕にも見えたよ!」「ナージャは普通の女の子とは違う。すごく特別なんだ!」なんて言っちゃって、もう相思相愛なのは当然、あわよくば将来は結婚を、なんて夢見ているような勢いなんですが。
しかしクリスチャン君、君の愛するナージャの心の中には、既にフランシスという思い人が厳然と存在するのだよ! それなのに、ナージャったら、そんなことはおくびにも出さずにクリスチャンとあんなに仲良く・・・。いいのか、それで。
おたくな男の子が自分の趣味を構わずまくし立て、女の子は優しくそれを聞く。外形的には「成恵の世界」の成恵と和人の関係と相似なのですが、女の子の内面は全然違うわけで。ナージャのこの八方美人ぶり、クリスチャンへの気持ちへの配慮のなさぶりはある意味恐ろしくすらあります。
大体、最後に訪れたトレビの泉のシーンでは、クリスチャンが「またいつか、ナージャと一緒に来られますように」と願っているのに、ナージャは「きっといつか、お母さんと一緒にここに来られますように」なんて考えているわけですから(泣) いくら最後のナレーションが、クリスチャンの再登場をにおわせていても、これではあまりにも彼がかわいそう・・・。
唐突に登場する花売り娘のロベルタが、拾ったナージャのブローチを持ってきたパオロには目もくれず、かっこいいマッシモには目をウルウルさせて迫りまくるという、自分の気持ちに正直すぎる女の子として戯画的に描かれているのは、その辺りを自覚したスタッフによるエクスキューズなのかと、思わず勘ぐりたくなるぐらいです。
何より一番恐ろしいのは、視聴者である女の子は、何の矛盾も疑問も抱かずに今回のナージャに感情移入しているんだろうなあ、と想像できる点で。ふつふつと黒い感情が自分の中にわいてくるのを感じます。
というふうに、子供向けアニメであっても「大きなお友達」的視点の楽しみ方は全然可だと思っています。ただ、それはあくまでも本来的な楽しみ方ではない――ナージャの場合、そう言い切れないような気がしてきましたが――ことは自覚しておくべきだろうなあとは思います。
次回はナージャとお母さんの話のようで、とりあえず赤ちゃんナージャの声がどうなるのかに興味津々です。
だいぶ話が動きましたね。思い出すために、今もう一度見返してから書いてるのですが、第10話の感想で書いた予想や要望が何だか当たっているような。アリスティアは(今回のみかもしれませんが)クラウスのナビになったし、アルは(キーワードで超常的な力が発動するという意味で)飛行石だったし。しかし、アリスティアの「タチアナ、あなたの空には自由がないわ」というせりふは、タチアナとの強い決別の意思を感じさせるような気がします。それにしても、いいところで終わってるな~。もうすぐ第12話が始まっちゃうので、続きはそちらにも書きます。
いや~、息詰まる艦隊戦だった・・・んだと思います。何だかいまいち入り込めなかったんですよね。CGは相変わらずすごいと思うんですが、初期のあの興奮が感じられないというか。慣れてしまったということなんだろうか・・・。でも、シルヴァーナの肉を切らせて骨を絶つ的な秘策にはしびれましたし、シルヴァーナ、タチアナとクラウスのヴァンシップともに絶体絶命のピンチも、一体どう切り抜けるのか、楽しみではあります。
しかし、タチアナがクラウスにナビをさせるとは・・・。それこそ真剣に物語を追っていないからなのかもしれませんが、意図がよく分かりません。戦いの厳しさを教えるということなんでしょうかねぇ。アリスティアのタチアナへの気持ちも、今回だけでは判然としませんでしたし。予告からは、タチアナの方はまだアリスティアを親友だと思っているように受け取れるのですが。次回は二人の過去も焦点になるんでしょうかね。
・・・。いや、何て言っていいのか・・・。こういうのが見られるから、31歳になってもアニメ好きはやめられないんだよなあ。後半の摩季とカイ――エアマスターとスカイスター――の試合、会場の観衆よろしく、あっけにとられて無言で見入ってしまいました。高いレベルで互角の力を持つ者同士、持てる力を駆使して展開される空中戦。燃えるなあ。
前半を見終わった段階では、崎山の鬼気迫る存在感と、摩季の「次元が違うんだよ(by崎山)」な強さを堪能するとともに、ここまでを一話分にしても十分持ちそうなのにもったいないなあと思ったほどでしたが、後半を見てその考えが全く愚かであったことを思い知りました。やっぱり摩季は相手が強ければ強いほど、その魅力をいやが上にも増していきますね。このテンポ、この密度、この迫力! 「次回が待ちきれない」とは、こういう時にいうべき言葉なんでしょう。
しかも、枚数をうまく節約し(ているように見えます)ながら、これだけの試合を描く力量ってすごいんじゃないでしょうか。こんなにいいものを見させてもらって、本当に幸せ者です。
ところで、カイがルチャマスターの妹(?)だっていうのは、アニメで今までに出てきましたっけ。途中、流して見ていた話もあるのでよく覚えていないんですが。
「宇宙のステルヴィア」のしーぽんと光太に対し、「明日のナージャ」のナージャとフランシスのキスシーンはどうして「祭り」にならなかったのか。カトゆーさんが「戯れ言」で表題の疑問を書かれていますが、これは至極当然だろうと私は思っていました。
「ナージャ」は本来的には少女向けアニメ(のはず)ですが、萌えアニメとして見た場合は、以前に「光太死ね!」現象についてで書いた前者の構造――女性の主人公が萌え対象になる伝統的な美少女アニメ――になると思います。そして、ナージャがフランシスを好きだという事実は、物語の早い段階から繰り返し明示されていました。つまり、恋愛感情が相当の重要な意味をもって描かれていたわけです。
言い換えれば、受け手は、フランシスに恋心を抱いている部分も含めた存在としてのナージャに萌える、という形になるわけで、その恋心の当然の帰結としてのキスという行為に及んでも、比較的冷静に受け止められたのではないかと思うんです。私自身、あのシーンを目にした時、「フランシス殺す!」という感情よりは、ナージャの成長を見守る兄――父とは口が裂けても言いたくない――のような気持ちで前途を祝福してあげたい気分になりましたよ。
ここまで書いて、はたと思いました。「ステルヴィア」の場合、光太のしーぽんへの思いが描かれていたかどうかが問題にされている部分が大きいようですが、逆にしーぽんが光太を思っているという感情の描写はどうだったんでしょうか。さらに少なかった、あるいはほとんどなかったような気がします。仮に、キスに至る以前に、しーぽんが主体的に光太にラブラブ、みたいな表現があったならば、受け手は「しょーがねーなー」と思いつつもそれを容認できたのかもしれません。やっぱり、あのキスシーンの唐突さはギャルゲー的のような気がします。
この作品は、受け手に対して主体的に楽しむことを要求する――ある意味では不親切な――アニメなのかもしれない、とふと思いました。
開始当初、受け手は作品をどのように楽しむべきか、その手掛かり――記号――を作品中から探し出そうとします。凝った背景設定に着目すれば本格的SFとも受け取れるでしょうし、しーぽんとアリサの友情や予科生たちの日常生活にフォーカスすれば青春学園劇とも見られるでしょう。
ところが、そのいずれの描写も、(従来アニメ的には)中途半端に見えた――記号が少なすぎた――ため、受け手は作品の楽しみ方にとまどいを覚えます。フラストレーションにも似た感情は、第10話の淡々としたセカンドウェーブの通過で頂点を迎え、その中で、相対的に「しーぽん萌え」な楽しみ方が浮上していきます。この時点で、以降も見続けようとする受け手の多くは、「萌えアニメ」としてこの作品を捉え、作品にそれを期待する視聴態度に至ったのではないかと思われます。
その受け手が、第11話の最後、次回予告で唐突に映し出されたしーぽんと光太のキスシーンにどう反応するか。それは火を見るより明らかでしょう。それまで、この作品を恋愛ものとして楽しむための手掛かりは、記号として分かりやすくは作品中に明示されていなかったわけですから。
しかし、これはもしかしたら――好意的に解釈すれば――、あまりにも分かりやすすぎる記号にあふれた近ごろのアニメに慣れきった受け手に対する、一つの挑戦なのかもしれません。「これまでとは違うアニメ」として、アニメ的お約束――分かりやすい記号――を探そうとする態度を排除した目で見れば、ひょっとしたら、あるいはまた違った魅力が浮かび上がってくるのかもしれませんが、私自身、そこまでの見方をしているわけではないので断言はできません。
送り手は受け手の反応を予想しつつ作品中に記号を仕掛け、受け手は送り手の狙いを承知の上で、その記号に引っ掛かって予想通りに反応してみせる。そういう、近ごろのアニメに横溢する約束事――もっと言えば送り手と受け手のなれ合い――が、「ステルヴィア」の場合、少なくとも受け手側の立場から見れば、予想を大きく上回る形で打ち破られた――送り手側の意図はつまびらかではありませんが――。それが今回の「光太死ね!」祭りだったような気がします。
え~、何か思いつきを適当に書いているだけなので、全話終了した時点で見直したら全然的はずれな内容になってるかもしれませんが、せっかく書いたので。
で、第13話の感想ですが、「ステルヴィア」のこれぞという魅力をいまだ発見できていない自分にとっては、眼前を物語が通り過ぎて行っただけで、何だか入り込めないという印象でした。とりあえずは、次回以降の「トップをねらえ!」的に燃えそうな展開に期待したいところです(まだ言うか)。
ナージャの話と、母親のコレットの話が交錯する作りは、第15話と似ていますが、やはりどことなくちぐはぐな印象を受けます。オルゴールを聴いているシーンが、昔のコレットから現在のナージャに切り替わる演出などは良いと思うんですが、物語を追っているだけでは、2つの話が同じ日の出来事だというのは明示されていない――有機的に結びついていない――んですよね。【追記:冒頭にダンデライオン一座の前をコレットたちの乗った馬車が通り過ぎていたのをうっかりしていたので、この部分は削除します】当然、受け手はそうだと受け止めるべきなんでしょうが、そこがはっきりしないと、コレットが(死んだと思っている)ナージャの13歳の誕生日を祝う→ナージャがそうとは知らずに自分の誕生日をおばばの誕生日として祝っているというラストシーンが、いまいち弱いような気がするんです。【追記:そう考えてみると、同じ空の下、母娘がお互いのことを思い合っているということで、むしろ効果的なのかもしれません。ただ、切り替えのちぐはぐさはやっぱり否めない感じは残ります】
でも、それぞれの話は上手にまとまっていると思いました。特にコレットの話は、物語を進めるための過去の謎解きという、説明的になりがちな所を、オスカーを介在させてうまく処理しているなあと感心しました。最後の、コレットがナージャを思う気持ち、ナージャがまだ見ぬ母を思う気持ちにはほろっとさせられました。これで作画が前回のものだったら、もっと今回の雰囲気に合ったんじゃないかと思います。
ところで、閉店間際の石丸電気に駆け込んで、エヴァのDVD-BOXと一緒にナージャの「BGMコレクションその1」のCDを買ってきました。いいですね~。特に、今回のおばばの誕生パーティーのシーンでも流れていた感動的な主題と編曲の「しあわせの行方」、そして同じ主題を新世紀(20世紀)到来を感じさせる軽快なアレンジでまとめた「少女」は心にしみいります。作曲の奥慶一氏、五十嵐卓哉SD、関弘美Pのメッセージも寄せられていますが、関Pは1986-7年のダイアナ妃結婚騒動のころから、この企画を温めていたんですね。
あと、素晴らしい出来だった第8話のラファエルとシルヴィの曲が、インストゥルメント版ではあるものの、ボーナストラックとして収録されていて感激しました。ボーカル版は、7月発売のボーカルアルバムに収録を期待したいところ。きっと入ってますよね? 「ダンデライオンのテーマ」のギターバージョンもなかなかいい感じです。