「おたく」ほど、送り手、受け手によってその想起するイメージが千差万別な言葉も珍しいのではないかと思います。
もちろん、「おたく」とは何か、というテーマにも関心はあって、前に「おたくとは何か~はじめに」で、「おたくとは『萌え』を理解する存在である」と書いたりした――「萌え」の持つ意味合いの探求いかんによっては、それなりに当を得ているようには思うのですけど――のですが、それ以前に、「おたく」という言葉が用いられた時点で、既にある種の色がついてしまって、「おたく」そのものについて考えたり論じたりするのを妨げているような気がするので、それについてちょっと考察してみようかと。
例によって思いつきを書いてるだけですし、根拠も何もあったもんじゃありませんので、適当に読み飛ばして頂ければ幸いです。
その思いつきというのは、「おたく」という言葉が持つイメージの広がりを、肯定的―否定的、能動的―受動的、の2つの座標軸を持った平面上にマッピングしてみたらどうだろう、ということでした。以下のように。

少し説明します。
1.の「エリートおたく」とは、例えば宮崎勤事件以降に、岡田斗司夫氏らによって提唱された、知識エリートとしての前向きなおたくなどがそれに当たると思います。クリエイター等もここに含まれるでしょう。
しかし、同じ能動的でも、TPOもわきまえずにあることないことまくしたてたり、妙にハイだったり、周囲に迷惑をかけるような存在が、2.の「“痛い”おたく」ではないかと。たまに見かけますよね?
そして、3.の「いわゆる『おたく』」とは、最も原初的かつ一般的なおたくのイメージ、すなわち、暗い、不気味、気持ち悪い等々の、今でも多数の人が想起するところのステロタイプなおたくの姿、というわけです。
4.の、受動的で、しかも肯定的にとらえられるおたくというのは、いまいち想定しにくいのですが、強いて言えばシャーロック・ホームズのようなあり方がそれに近いのかな、という気がしています。
うーん、こうやって書いてみると何だかあんまり意味がないなあ。
要するに、私がおたくについて言及するときは、イメージのうえではあくまでもニュートラル、上の平面で言えば0、すなわち原点の位置から論じたいし、自分としてはそのような意図で使っているつもりなのですが、やっぱりほとんどの受け手は「おたく」と聞いた時点で3.を想起するわけで。
例えば何かのコーナーのタイトルに「おたく」という言葉を使おうとすると、相当の抵抗があったり、もしくは最初からかなりバイアスのかかった視点で見られざるを得なかったりするんだなあ、と感じたのでありました。
以下追記。
「何かの作品にはまって関連するものを収集するという行為は、能動的ではないか」という指摘を頂いたのですが、その部分はおたくの行動様式としては自明のことなので、説明を省いてしまいました。上で言う「受動的」とは、単なる作品の受容にとどまっている段階、「能動的」とは、評論でも二次創作でもコスプレでも、受容を踏まえたうえで何らかの発信を自分から行っている状態、というイメージでご理解下さい。
しかしこの文章、カトゆーさんとこで紹介して頂いたおかげで、アクセス数がすごいことになってます。本当にただのたわごとに近いものなので、お恥ずかしい・・・。
さらに追記。
結構誤解、というか、私が考えていたのと違う受け止め方をされている人もいらっしゃるようなので、ちょっと補足を。
ここで言っているのは、ある人が「おたく」と聞いた時に想起するであろうイメージが、大体このような平面上に位置づけられるのでは、ということで、「おたく」自身が自分はこの辺に当たるのでは、と考えるイメージではない、ということです。
もちろん、そういうふうに見て頂いても全然構わないのですが、自分を否定的の方に置く人はそんなにいないと思いますし、自分の考える位置と、他者から見たその人の位置が一致するとは限りませんし(私も含めて)。
しかし、某アダルト系サイトからもリンクがあったようで、恐らくこの文章はこのサイト始まって以来のヒット数を記録してしまいました。やっぱりアダルト系の強さを実感するなあ。110度CSやBSデジタルも、本当に普及させたいのなら、こういうコンテンツをうまく利用するべきなんでしょうね。
Posted by fuku at 03:11 | otaku | トラックバック (0)