きょうは「ワルシャワの秋」という、年末に放送されるドラマの制作発表をのぞいてきました。日本の大正時代、帝政ロシアの支配下にあったポーランドからシベリアに送られた難民の子供たち700人余りを、日本赤十字社が受け入れ、救い出したという史実に基づいたドラマということです。
第二次世界大戦中の杉原千畝氏の美談はよく知られていますが、こちらの事実は恥ずかしながら全然知りませんでした。会場で流された史実のスライドやドラマのダイジェスト版を見て、思わず目頭を熱くしてしまいました。どうしても陳腐な表現になってしまうのですが、これに携わった当時の日本人の精神性の高さというか、矜持というかに感じ入ったのです。杉原氏の話だって、広く知られるようになったのはつい最近のことですし、この話も、もっと多くの人に知られてもいいのではないか、と思いつつ、ドラマの仕上がりが楽しみになりました。
このサイトでも別の場所でも、「目頭を熱くした」とか「涙腺が緩んだ」とか、泣いたことを表現する言葉を文章中で使うことがありますが、私の場合、単なる表現上の技巧として使用しているわけではなく、本当にそういう状態になった時のみに使うことを、自分に課しています。そうすることが、やはりものを書く者として最低限のモラルではないか、と自分なりには思うのです。
「泣く」という行為は、実は人間にとって最大の快楽の一つではないかと思います。感動の涙の心地よさは言うに及ばず、悲しい時の涙や、痛みを感じた時の涙さえ、つらさを和らげるために出る、麻薬のようなものではないでしょうか。「泣く」こととはすなわち、優れて利己的な営みなのではないか、と感じるのです。
だから、お世話になったあの人が自ら死を選んだことを聞いた時、私は涙を流しませんでした。泣いてしまえば、あの人を失ったことを嘆いているのではなく、あの人を失った自分を悲しんでいるだけになってしまう、そんなおそれを抱いたものですから。でも、あの人の霊前に立った時、私は涙をこらえる自信がありません。それでもあの人は、あのちょっとはにかんだような笑顔を見せて、私を許してくれるような気がします。それは、私のあの人に対する、最後の甘えなのかもしれません。
・・・今回はいつもとトーンが違ってすみません。次からは元に戻しますので。
Posted by fuku at 01:16 | zakki | トラックバック (0)はじめまして、越後屋といいます。
(昨日、コメントしたのですが上手く反映されなかった
ようなので再度コメントさせて貰います。)
Fuku様へ
事情をよく知らない私が言うのは何ですが…。
Fuku様が泣くという事が自己満足であるという気持ち
わかるような気がします。
(越後屋の祖母が今年亡くなったのですよ…。)
しかし、涙が「こぼれてしまう」程だったら、
相手の方もきっと分かって下さるのではないかと
思うのですが…。
でわ。
Posted by: 越後屋 at 2003年11月21日 16:30しらけというのかいろいろありすぎたのか泣くことも怒ることも忘れてしまいました
祖母が亡くなったときも大往生だなあ、と思うと涙が全然でてきませんでした
でも何かに心を動かされて涙を流せる人が後に続く人の心を揺さぶることができるのかもしれませ
だから泣ける人がうらやましいです。
越後屋さま、疲れた大学生さま
コメント、そしてお気遣い、ありがとうございます。ちょっとこの文章は感傷に流されすぎてしまったなあ、と反省しています。とりあえず、告別式に出席し、素直に涙を流してきました。
越後屋さま
川瀬君の所からいらっしゃったんですね。前のコメントというのは、「おたくとは何か~はじめに」へのコメントでしょうか。それでしたら、ちゃんと反映されていますよ。トップページ左側下部の「最近のエントリー」から確認できます。ただ、教えて頂いたURLの文章はまだ読んでないので、反応はもう少し後になります・・・。
Fuku様
>川瀬君の所からいらっしゃったんですね。前のコメント>というのは、「おたくとは何か~はじめに」
ではなく、こちらのコメントです^^;;
理由は越後屋のケアレスミスでした。
>反応はもう少し後になります…。
いえいえ、Fuku様もおいそがしいのでしょう。
気付いて頂けて嬉しいです^^。
お気遣いありがとうございます。
とろけてしまうくらい、まったりと反応を
お待ちしてます♪
(ってプレッシャーをかけてます?)
でわ
Posted by: 越後屋 at 2003年11月25日 13:07