先日の「おたくとは何か」の「はじめに」と「『萌え』の意味」は、「カトゆー家断絶」さんを始めいくつかのニュースサイトさんでご紹介頂いたこともあって、多くの方に見て頂いたようで、あちこちで反応も頂いたようです。ありがとうございます。
前に書いたように、私自身は専門家でありませんし、大した勉強をしている訳でもありませんので、思いついたことを適当に書いているに過ぎません。読んだ方の何かの参考になればと思うだけで、書いたことがすべて正しいとは全然思っていません。
ただ、こうしたことを書いた動機は、自分自身が「萌え」という感情を抱く時の心の動きを、何とか言語化できないか、という思いからでした。過去にあちこちで説明されている「萌え」の意味では、どうしてもぴんと来なかったんですね。それで、自分が現時点で何となくしっくり思える、しかもできるだけ一般化した意味(定義ではない!)として、「意識的にせよ無意識的にせよ、主として性衝動を根源とする欲望の対象となる、高度に記号化・抽象化された存在に対し、それが不可能であると知りながら、むしろ不可能だからこそ、常にともにありたいと希求する心の状態」と書いたわけです。
これについて、「その通りだと思う」とか、「合ってるような間違ってるような」など、いろいろな感想や意見を各所で見かけましたが、主なものについてレスさせて頂きたいと思います。まずは、直接寄せられたコメントから。
・Saitohさん
>おたく、オタク、ヲタク、ヲタといった用語の使い分けにより、
>「どのレベルの話をしているか」が指定されているように思います。
私もそう思いますが、それでも共通する「おたく」の核の意味あいというものがあるように思います。私自身は、それが何であるかをもう少しはっきりさせたいと考えています。
>精神分析において「欲望」を定義することは不可能です。
私はラカンもデリダもかじったとすら言えないほどですので、この辺はよく分からないんです。前述の「萌え」の意味(繰り返しますが定義とは思っていません)も、自分の感じていることをそのまま書いただけで、それぞれの用語について厳密に定義して使っている訳でありませんので。
>萌えるとは、狭義において「そのキャラに対し他のキャラとは異なる際立った
>魅力を感じる」ことである、と思います。
これは、おっしゃるように狭義、というか、一定の局面においてではないかと感じます。ギャルゲーやギャルゲー的アニメでは当てはまりますが、例えば特定の絵師さんの絵に萌えるとか、そういう状況まで広げて考えるとどうなんでしょうか。
・海法さん
>今の日本における一般的なオタク層の特殊性、独自性を定義するには、
>それに加えたプラスアルファが必要でしょう。
このことはまさに私も考えているところで、「おたく」や「萌え」といったものは、ずっと前から存在していた「マニア」や「好き」とはどう違うんだという問いへの答えに結びつくのだと思います。おっしゃるように、
>圧倒的な量と、それを前提とした消費の姿勢
辺りがカギじゃないかという気はしますが、もう少し突き詰めてみたいものです。
次に、私が気付いたサイトさんの反応に対して。
・「エロチック街道」さん
>自身の中の虚構が構築されるというのは、別に萌えキャラに限らずあらゆる
>創作物を受容する際に行われる心理的行動である、という立場もあります。
そうなんですよね。私自身、小説を読んだりする時の昔からの楽しみ方とどこが違うんだと、知人に突っ込まれましたし。でも、やっぱりそれと「萌え」の間には何か違いがあるような気がします。その「何か」に少しでも近づきたいと思っています。
>「萌え」はマニアの域の奥底にある秘境ではなく、むしろ入り口で渡される
>入場券に過ぎないのではないだろうか。
>現実と虚構との対立ではなく、虚構と自意識との関係の問題じゃないかな、
>と思います。
いずれも卓見で、なるほどと思いました。確かに、現実との対比はあんまり意味がありませんね。
・「moirunote」さん(7月17、18日)
>「萌え="抜ける"感覚」というわけではないですね。
おっしゃるように、私も直接「萌え」と「抜ける」を結びつけている訳ではありませんし、だからこそ「意識的にせよ無意識的にせよ、主として性衝動を根源とする欲望」と書いてみた訳です。必ずしも「萌え」の背景に性的欲求があるかどうかは分かりませんが、やっぱりそんな感じはするんですよね。
こちら経由で知った「アニメたれ感日記」さんの「心が動いたこと」などの使い方だと、私の考える「萌え」の意味よりは、ずいぶん拡張されているなあ、と感じます。ひょっとしたら、「萌え」の用法にも性差があるのかもしれませんが。
同じくこちら経由で知った「ARTIFACT -人工事実- | 検索エンジンのテキスト広告」も興味深かったです。ただ、
>オタクは「歪んだ価値観が消費行動と結びつく形で確立された人間」
っていうのは――私自身ももちろんそれに当てはまる人間だとは思っていますが――、現在では「おたく」の十分条件ではあっても必要条件ではないのではないか、と個人的には感じています。
あと、2ちゃんねるのスレのレスに対して。
>萌えているだけに踏みとどまっていることが、萌えていることなんだよ。
>急いで「自己愛」という結論にたどりつくよりも、その前に、そういう距離
>のありさまを、もっとじっくり考察してほしいのだ。
まさにその通りだと思います。いきなり「自己愛」というのは確かに乱暴な話なんですが、ただ「距離」というのも、分かったような分からないような言葉なので、突き詰めたい部分ではあります。
>「「萌え」という感情が理解できるかどうか」という「おたく」の定義では
>アイドルヲタやアニヲタや声優ヲタは説明できても、
>鉄ヲタや軍ヲタなんかは説明できないんじゃなかろか。
確かに、この「おたく」の定義は乱暴なのですが、「萌え」という感情の捉え方によっては説明できるんじゃないか、という気もします。私自身が子供のころ、まだ見ぬ土地の列車にあこがれた、あの何とも言えない気持ちをも「萌え」だと言えれば、ですが。でも、そうすると、「萌え」と性欲の結びつきの問題が出てくるなあ・・・。
>俺の周りでアニメもゲームもしない非オタクで、抜き目的でエロゲーやってる奴なんて結構いるぜ。
>俺の友人にも、抜き目的ではエロ漫画が一番と言ってる非オタクがいる。
これは、恐らくは、エロゲーやエロ漫画を媒介にして、生身の女性を想像しているのではないかと思います。エロゲーやエロ漫画の絵「それ自体」に欲情できるかどうかがポイントな訳で、斎藤環氏の書いていることもそういう意味だろうと思います。
むう、力つきた・・・。ほかにもスレのレスで反応したいのはあるんですが。とりあえず、
>福たんはこの人達の中に入って議論しない方がいいと思う。
>趣味でやる分にはいいんだけどね・・・
辺りの忠告は、自覚しているというか、肝に銘じたいと思います。自分がその器じゃないという認識は持っているつもりですし。
こういう領域じゃないですけど、大学時代は研究者の道に進もうと思ったこともあるんですよね。でも、自分はどうも締切とか期限がないと何もできない人間のようで、大学の研究室の環境ではいつまでたっても何もできないだろうなあ、と気付きまして。一留したうえで、こんな(?)道に入ってしまったという。
2ちゃんねるのスレの430さん(ですよね?)、素早い反応どうもです。
http://comic2.2ch.net/test/read.cgi/asaloon/1056399887/614
>距離というのは、「永遠にたどりつけない近さ」ということでしょう。
私が考えていることは、430さんが一貫しておっしゃてることに非常に近いと思います。私はそれを、「(対象とともにあることが)不可能であると知りながら、むしろ不可能だからこそ」という言葉で表現したつもりです。上述の趣旨は、ただ「距離」というだけでなく、おっしゃるような「距離」についての説明がないと分かりにくい、ということでした。
そして、それは615さんが言う「自己規制」などではなく、何らかの必然的帰結だろうと思います。私はそれを、対象が「高度に記号化・抽象化された存在」だからではないか、と考えていますが。
はじめまして。
前回の「おたくとは何か」を読んで、自分のサイトでも駄文を書いたんですけど、
http://www.mypress.jp/v2_writers/maidmoe/story/?story_id=51886
うちは日に二桁行くか行かないかの弱小サイトだし、書いただけである程度満足してたので
何も言わなかったんですけど、今回また続きを書かれていたので何かの参考にでもなればと
思いきってコメントしてみました。
ま、かなり端っこから見た意見なので参考にはならないかもしれませんが(苦笑)。ではでは。
Posted by: J・L・フランキー at 2003年07月21日 20:08海法氏、福氏、レスありがとうございます。
萌えについては個人サイトから2chまで幅広い影響があったようで、非常に面白かったです。
>特定の絵師
この萌えに関しては、「私はピカソの絵が好き」というような、
作風に対する嗜好が前もってあるのではないかと思います。
さらに、その嗜好の上に「キャラとしての魅力」があるせいで萌えやすいのではないかと。
定義ではなく意味
これに関しては賛成です。相変わらず「萌え」を定義可能なものとは思っておりませんし、
福氏が定義しようとしてたわけでもありませんでした。
こちらの誤読だったようです。申し訳ない。
「萌え」が持つ意味について、これまで考えようとした方々は結構おられました。
本当に浅学ながらこれまで見てきた中では、
「萌えを精神分析上のモチーフに還元すること」であったり
「萌えをパーツの集合体に還元すること」であったりしました。
学者の話になると「何に還元するか」という論議になってしまうようです。
しかも、「萌える対象について」何を見出し、それにいかなる共通性があるか、という
点に話が収束していきます。
早い話が、萌えではなく、萌える対象についての議論がほとんどだったということです。
「萌え」の意味に関しては、細かいことがほとんど言われてこなかったかもしれません。
「萌える」という、「対象に関して自分が発するコメントと感情」について考えるとすれば、
無論それは個人的なものになるでしょう。
しかし、それが言葉として共通の意味を与えられている限り
何か共有されているものもあるでしょう。
ある集団内での共通の感覚、というのは一番語りにくいものです。
「自分語り」
「おたく史的小規模流行」
「一般的な恋愛感情」
等々と対比する形で萌え自体を語ろうとする試みは、いくつか見たことがあります。
しかし、ほとんどのおたくはそれに物足りなさを感じているはずです。
たぶん、「萌え」の意味に個人差がありすぎるせいでしょう。
萌え対象との距離
距離、というよりも「断絶」の方がふさわしいのではないかと。
確かに萌え対象は目で見える先にあるので「距離」と言いたいです。が、
2次元と3次元という次元上の断絶、
キャラと萌える人間が固定された作品を介するしかないという断絶、
見終われば全くの関わりが失われるという断絶、
思いつくだけでこれだけあります。他にもあるでしょう。
メディアを介する性質ゆえの「断絶」というほうが個人的にしっくり来ます。他の方はどうでしょうか。
「虚構の上で記号として書かれたキャラが、かなりの数・種類のメディアにわたって存在する。」
これを萌えが始まったときの状況として、どう考えていくかが問題だと思います。
だらだらと長くなりました。すいません。
ついでにキャラ萌えにしか視点が向いてなくてすいません。