先日の「おたくの共通言語」での堺三保さんとのやりとりや、この前書いたある文章などがきっかけとなって、どうも変なスイッチが入ってしまったようで、最近、「おたく」ということについてあれやこれや考えています。ただ一人で考えているだけではあまり生産性がないので、今まで考えたことをここで公開してみて、いろいろな人の意見を聞いてみたいと思うようになりました。
読んで頂くに当たって二つお願いがあります。一つは、私も勉強不足かつ能力不足ですので、既に誰かが言及や指摘していることを、自分の考えとして書いている可能性があります。そういう点が見受けられたら是非指摘して頂きたい、ということ。現に、「おたくの共通言語」で書いた、おたくの世代の立て分けの仕方は、東浩紀氏の「動物化するポストモダン」(13ページ)で触れられています。私自身としては、この立て分けの仕方にもう少し根拠を持たせることができると思うのですが、それはいずれ。一方で、私は学者ではありませんので、様々な点で非常に大ざっぱに話を進めている部分があると思いますが、その辺はご寛恕下さい。
もう一つ。私は、ここで書いていることがすべて正しいと考えている訳ではないし、そうは受け止めて欲しくはないということ。自分でも暴論やこじつけとしか思えないことをあえて書いている可能性もありますが、読んだ方が考える何かのきっかけになればと思ってのことですので。ここを訪れる大半の方がおたくであると思われる以上、おたくについて考えることは自分自身について考えることにもなり、それは決して意味のないことではない、と思います。
で、現在の「おたく」という表現が中森明夫氏によって使われ始め(「漫画ブリッコ」資料館所収の『おたく』の研究を参照)、宮崎勤事件によって強烈な負のイメージを負って人口に膾炙し、その裏返しとして岡田斗司夫氏らによって肯定的な「オタク」のあり方が提唱され、といった流れは前掲「動物化するポストモダン」を始め各所で述べられている通りですが、おたくそのものについて考える場合、その正負のイメージとは無関係に、純粋におたくという存在について扱うべきだと思っています。私自身は、「おたく」という言葉を価値観の軸ではニュートラルに使っていますので、そのように理解して頂ければと思います。
その上で、私が考えるおたくとは何か、についてですが、斎藤環氏が「戦闘美少女の精神分析」(53ページ)で書かれている「端的で下世話な表現をするなら、アニメキャラで『抜く』ことが出来るか否か、それがおたく―非おたくの一つの分岐点ではないだろうか」という見方に非常に共感を覚えます――もちろん、この本ではこんな下世話な話だけではなく、精神科医の立場から見たおたくの鋭い分析が種々述べられています――。
この見方にも近いとは思うのですが、私自身は、「萌え」という感情が理解できるかどうか、それがおたくかどうかの一つの分かれ目ではないか、と考えています。すなわち、おたくとは「萌え」を理解する存在である、と。もちろん、異論はあるでしょうし、おたくという幅広い存在をそこまで言い切ってしまえるとは思っていませんが、とりあえず、ここではこのように位置づけて話を進めたいと思います。
そうすると、次は「萌え」の意味について考えなければなりませんが、長くなりましたのでそれは次回に書きます。
Posted by fuku at 22:33 | otaku | トラックバック (0)Fuku様へ
はじめまして。
川瀬様のサイトからこちらへ
参りました越後屋といいます。
よしなにお願い致します。
さて、先日MSNにて「おたく」に関する
興味深い記事がありました。
Fuku様の感想を頂けたら
幸いです。
http://news.msn.co.jp/386285.armx
ちなみに個人的な感想としては、
外国人にはこう見えるというのがわかりますし、
合意でないというものに対しては嫌悪感を
抱きます。
ただ、合意ではないものはアニメでも
リアルでもありえるシチュエーションですよね
でわ。
Posted by: 越後屋 at 2003年11月20日 10:45