2003年06月26日

「宇宙のステルヴィア」第13話~この作品の楽しみ方について

この作品は、受け手に対して主体的に楽しむことを要求する――ある意味では不親切な――アニメなのかもしれない、とふと思いました。

開始当初、受け手は作品をどのように楽しむべきか、その手掛かり――記号――を作品中から探し出そうとします。凝った背景設定に着目すれば本格的SFとも受け取れるでしょうし、しーぽんとアリサの友情や予科生たちの日常生活にフォーカスすれば青春学園劇とも見られるでしょう。

ところが、そのいずれの描写も、(従来アニメ的には)中途半端に見えた――記号が少なすぎた――ため、受け手は作品の楽しみ方にとまどいを覚えます。フラストレーションにも似た感情は、第10話の淡々としたセカンドウェーブの通過で頂点を迎え、その中で、相対的に「しーぽん萌え」な楽しみ方が浮上していきます。この時点で、以降も見続けようとする受け手の多くは、「萌えアニメ」としてこの作品を捉え、作品にそれを期待する視聴態度に至ったのではないかと思われます。

その受け手が、第11話の最後、次回予告で唐突に映し出されたしーぽんと光太のキスシーンにどう反応するか。それは火を見るより明らかでしょう。それまで、この作品を恋愛ものとして楽しむための手掛かりは、記号として分かりやすくは作品中に明示されていなかったわけですから。

しかし、これはもしかしたら――好意的に解釈すれば――、あまりにも分かりやすすぎる記号にあふれた近ごろのアニメに慣れきった受け手に対する、一つの挑戦なのかもしれません。「これまでとは違うアニメ」として、アニメ的お約束――分かりやすい記号――を探そうとする態度を排除した目で見れば、ひょっとしたら、あるいはまた違った魅力が浮かび上がってくるのかもしれませんが、私自身、そこまでの見方をしているわけではないので断言はできません。

送り手は受け手の反応を予想しつつ作品中に記号を仕掛け、受け手は送り手の狙いを承知の上で、その記号に引っ掛かって予想通りに反応してみせる。そういう、近ごろのアニメに横溢する約束事――もっと言えば送り手と受け手のなれ合い――が、「ステルヴィア」の場合、少なくとも受け手側の立場から見れば、予想を大きく上回る形で打ち破られた――送り手側の意図はつまびらかではありませんが――。それが今回の「光太死ね!」祭りだったような気がします。

え~、何か思いつきを適当に書いているだけなので、全話終了した時点で見直したら全然的はずれな内容になってるかもしれませんが、せっかく書いたので。

で、第13話の感想ですが、「ステルヴィア」のこれぞという魅力をいまだ発見できていない自分にとっては、眼前を物語が通り過ぎて行っただけで、何だか入り込めないという印象でした。とりあえずは、次回以降の「トップをねらえ!」的に燃えそうな展開に期待したいところです(まだ言うか)。

Posted by fuku at 21:57 | stellvia | トラックバック (0)
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