2003年06月25日

「何故ナージャとフランシスのキスシーンではこういう祭りが起きなかったか」

「宇宙のステルヴィア」のしーぽんと光太に対し、「明日のナージャ」のナージャとフランシスのキスシーンはどうして「祭り」にならなかったのか。カトゆーさんが「戯れ言」で表題の疑問を書かれていますが、これは至極当然だろうと私は思っていました。

「ナージャ」は本来的には少女向けアニメ(のはず)ですが、萌えアニメとして見た場合は、以前に「光太死ね!」現象についてで書いた前者の構造――女性の主人公が萌え対象になる伝統的な美少女アニメ――になると思います。そして、ナージャがフランシスを好きだという事実は、物語の早い段階から繰り返し明示されていました。つまり、恋愛感情が相当の重要な意味をもって描かれていたわけです。

言い換えれば、受け手は、フランシスに恋心を抱いている部分も含めた存在としてのナージャに萌える、という形になるわけで、その恋心の当然の帰結としてのキスという行為に及んでも、比較的冷静に受け止められたのではないかと思うんです。私自身、あのシーンを目にした時、「フランシス殺す!」という感情よりは、ナージャの成長を見守る兄――父とは口が裂けても言いたくない――のような気持ちで前途を祝福してあげたい気分になりましたよ。

ここまで書いて、はたと思いました。「ステルヴィア」の場合、光太のしーぽんへの思いが描かれていたかどうかが問題にされている部分が大きいようですが、逆にしーぽんが光太を思っているという感情の描写はどうだったんでしょうか。さらに少なかった、あるいはほとんどなかったような気がします。仮に、キスに至る以前に、しーぽんが主体的に光太にラブラブ、みたいな表現があったならば、受け手は「しょーがねーなー」と思いつつもそれを容認できたのかもしれません。やっぱり、あのキスシーンの唐突さはギャルゲー的のような気がします。

Posted by fuku at 09:58 | nadja , stellvia | トラックバック (0)